ようこそ!アロマの世界へ

日本ハーバルアロマセラピスト協会認定 アロマテラピーアドバイザー リフレクソロジスト
崎谷明子(saki)さんによるアロマエッセイです


第13回 香の歴史

 
文化・教養の秋ということで、今回は乏しい知識ではありますが、少し香りの歴史についてふれてみたいと思います。香りの歴史は世界史と密接に関係している部分も多く、非常におもしろいのです。ここでは、多くの事は書けないので、個人的な好みで歴史や人物にまつわる興味深いエピソードなどを紹介し、そこに出てくる植物の効能などをご紹介できたらと思います。
 アロマテラピーという言葉は、1920年代にフランスの化学者ルネ・モーリス・ガットフォセという人物によって初めて使われた比較的新しいものですが、人間ははるか古代より植物の持つ香りの力を利用してきました。
 たとえば、古代エジプトのミイラ。ミイラの語源はミルラ(没薬)という植物の名前だとも言われています。ミルラとは、カンラン科の植物で、その精油はかるく麝香を思わせる香りです。ミルラは乾燥させる作用があり、抗菌効果が高く、防腐効果があったのでミイラ作りには欠かせないものでした。また、この時代、芳香植物は金と同じくらいの価値を持っていたということで、イエス・キリストの誕生の際にも金とミルラ、そしてフランキンセンス(乳香)が献上されたといわれています。フランキンセンスも同じカンラ科の植物で、古代より神々への捧げ物として祭壇で焚かれるなど、非常に利用されてきました。フランキンセンスの一番の効能は何といっても、しわをのばして消してしまうと言われるほどの、肌への効果ではないでしょうか?古代エジプト人は若返りのパックにこれを用いていたということです。
 元々芳香植物は神への捧げ物としての役割がありました。やがて人々はその薬理効果を知り薬として利用したり、化粧などに利用したりしてその需要は増すばかりでした。中世の頃にはヨーロッパやアジアの交易は非常に盛んになりましたが、当時の交易で特に利益をあげていたものはスパイスでした。(当時のスパイスは今日でいうスパイス(薬草)ばかりでなく、少量でも高く売れるもの(象牙、絹など)も含まれていたということですが。)当時はアラビアの商人が利益を独占していたため、ヨーロッパの王たちは何とか独自の交易ルートを開拓しようとしました。その結果、バスコ・ダ・ガマが喜望峰を周りインド上陸を果たし、クリストファー・コロンブスが新大陸を発見するなどしたわけです。当時、スパイスがこれほど必要とされた背景には、ペストの流行と人々の衛生概念の乏しさもありました。当時の人々はペストは悪臭から伝染すると考え、また入浴の習慣もなかったので、悪臭をさけるため盛んに芳香植物が使われたのです。実際、当時伝染予防に使用されていたガーリックやクローブなどの芳香植物にはかなりの殺菌効果
があったため、香料商は大いに栄えただけでなく、事実伝染病から逃れていたと報告されています。
 やがて精油が科学的に研究され精油や芳香植物を利用した医療が盛んになりますが、19世紀になると大きく進歩した西洋医学や薬学の影響で、このような自然療法は衰退していきます。しかし、現代医学の思わぬ副作用などがあり、今またアロマテラピーをはじめさまざまな自然療法が注目され始めています。
 現在日本ではかなりの数のアロマテラピー関連団体があります。因みに一番会員数を有する団体は「日本アロマテラピー協会」で、医師や看護師など、よりアロマテラピーを臨床の立場で検証している団体としては「日本アロマセラピー学会」などがあり、その他、熱心に勉強会などを行いアロマテラピーについての意識を高めている協会、団体も数多くあります。アロマテラピーという言葉では新しく感じてしまうかもしれませんが、日本もはるか昔から芳香植物を暮らしの中に利用しています。例えば菖蒲湯やゆず湯の習慣。また薄荷の生産量は戦前は世界で1,2位を争う重用な香料産業だったとか。そういえば、子供が保育園で、虫よけのため先生に薄荷油を塗ってもらっていました。知らず知らずのうちに、アロマテラピーを実践していることってあるのかもしれませんね。

2005年11月号

〜〜 お知らせ 〜〜
 ・崎谷さんによるアロマテラピーは只今休止中です。


このページの画像は素材配布サイト700kmさんからお借りしています


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