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【第4回】 子供が教えてくれた事、ヨーガを通して分かった事
長男はこの冬で18歳、次男はこの夏で10歳、夫は秋に48歳、そして私はこの春に46歳
(因に子供達には永遠の28歳と申しております… 厚かましくスミマセン。)を迎えました。

何の因果か分かりませんが、20年程前に勤めていたデザインオフィスで知り合い、結婚。
それ以来、山あり谷ありの連続。
自分本意の独身時代とは決別し、滅私奉公を取らざるを得ぬ状況になり、身も心も段々とボロボロに変わり果てて行くありさま。


今は、ヨーガの力のお陰で、それ程、紆余曲折する事は少なくなりましたが、私にとっては、結婚は大きな転換の時。
先ずは姓字が変わり、住む所も変わり、今まで全くの他人をお義父さんとして迎え(義母は結婚する前に他界してますので)、自分を取り囲む環境ががらりと変わりました。

そして環境に未だ馴染めないうちに、長男を身籠り、悪阻で気持ち悪くなり、安定期も束の間、後期は貧血気味‥…。

30時間を超える分娩を乗り切り、長男は無事に産道を潜って、生まれでる。
ようやく巡り会えた、赤ん坊は、疲れ果てたのか昏々と眠る。

初めての我が子、初めての子育て、初めて尽くしで不安も募る。でも、それ以上に愛おしく、必死の子育てが始まります。

実家も遠く、回りに知り合いなどもおらず、何も頼るものなどなく、情報誌、マニュアル本などを頼りに、新米ママとして遅れをとらないように必死に(内心は藁にでも縋るような思いで)デビュー!

今思うと、必死にお母さんという仮面を取り繕って、必死に挫けないように頑張っておりました。

おまけに当時は、夫も独立したてで、生活も不安定。サポート体制など全く無く、全てが不安定でした。


瓢箪から駒
子供を産み育てるうちに、段々と内なる野生みたいなものが芽生え始めて、自然と繋がる実態みたいなものが欲しくなり、長男を連れて八ヶ岳で半年間程、自給自足を試みるファームで過ごした事もあります。
そこは、深い森、美味しい水、ゆったりと流れる時間、全てがあったような気がします。



そこで過ごした半年間、私にとっての貴重な体験、命を吹き返し、東京に戻り、そうこうしているうちに、ヨーガに出会い、そして次男を授かります。

またしても、密室育児に煮詰まり、当時、狭い自宅の一室で仕事をしていた夫との間で、喧嘩が絶えなくなる。
逃げ場のない私は残念な事に、自分を取り巻く環境を否定して行くようになる。

こんな状態ではいけない、自分の為にも、子供達の為にも。
心の整理を付けて、上手く動けるように、一時、夫から居を別にしてもらった事もあります。

今もそうだが、子供達からの身体を張ったメッセージが私を動かす。
”パパ、ママ、気付いて!”全身で訴えて来る。
そして、何度も何度も、挫けそうになったが、子供達の笑顔が私を癒してくれた。

一点の光を追い求めて、子供達の笑顔に導かれて、ヨーガ道に辿り着く。

ヨーガを通して、先ずは自分を見つめ直す作業。
アーサナで身体を解しながら心も軽くして行く。
少しずつではあるが先が見えて来る。自分を取り巻く環境が良い方向へと向かう、自然の摂理に従って。

今、思えば、とても幼稚な二人が結ばれ、何のサポートも得られず、社会の荒海に放り込まれたような状況、上手く行かないのは当たり前の事だったのかもしれませんね。

御陰様で、鍛えられました。
ようやく、遅ればせながらスタートラインに立てたような思いです。

これもそれも全部、子供達が教えてくれた事。そして、ヨーガで全てとは未だ言えませんが受け止められた事。

子供達が全身全霊を掛けて見せてくれている事を、ヨーガの力で、私を覆っていた塵を払い、気付かせてくれた。

どんなに子供達が反抗してグレようが、その裏には掛け替えののない愛が見える。計り知れない愛がある。

私達夫婦は、そんな子供達が大好きで仕方がない。
私達は、それぞれ考え方も、表現の仕方もバラバラだけど、それぞれのやり方で、子供達に言葉にならないメッセージを送る、祈りと共に。
人が一人一人、違うように、夫婦もその数だけ、違っていいように思う。

ヨーガが教えてくれた事、それは呼吸する事。
同じ空気を分かち合う事。
ただそれだけでいい。

子供を産み、共に生きる事は、血を吐く以上に辛い事もある、情報誌のようにサラッと格好良くはいかぬ。
だから面白い。

シャンティ オーム

 

hahadikara

2014年7月号

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