東村山市教育相談室・専門相談員の清水洋邦さんの、心理学の立場から思う「子育て」についてのお話しです!


第1回
 はじめまして。
 今回、ご縁がありましてコラムを担当させていただくことになりました。心理学の視点から、色々なものごとをちょっと考えてみよう、というコラムにしたいと思っています。とは言っても、あまり堅い話ではありません。気楽に楽しんでいただければ、と思っています。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 <コミュニケーションと自分への理解>
 さっそくですが、「ジョハリの窓」という言葉を聞いたことがありますか?
 自己を「自分が知っている/知らない」、「他人が知っている/知らない」という2つの視点をから分類する、というモデルです。
 今からちょうど50年前、1955年にジョセフ・ルフトとハリー・インガムという二人の心理学者が提唱したコミュニケーションに関するモデルです。ジョセフとハリーでジョハリの窓。昔、物理学で二人の名前をそのままつなげて「ボイル・シャルルの法則」というのがありましたが、これは略して繋げたわけです。大胆というか横着というか…いえいえ。
 ともあれ、図を見てください。自己について、4つに分けられているのがわかるかと思います。この枠が窓の格子に見えるからジョハリの「窓」なんですね。では、それぞれの項目について見てみましょう。
自分が知っている 自分が知らない







1.「開放された窓」
自分も他人も知っている
2.「盲点の窓」
他人は知っているが自分は知らない






3.「隠された窓」
自分は知っているが他人は知らない
4.「未知の窓」
自分も他人も知らない

 まず「自分も他人も知っている」という「開放された窓」。続いて「他人は知っているが自分は知らない」という「盲点の窓」。さらに「自分は知っているが他人は知らない」という「隠されたの窓」。そして「自分も他人も知らない」という「未知の窓」。

<例えばAさんの場合>
 例えば、今ここにAさんという人がいたとします。Aさんのそれぞれの窓にはこんな情報が入っているとします。
Aさんのモデル
自分が知っている 自分が知らない







1.「開放された窓」
「テレビドラマが好き」
2.「盲点の窓」
「喋り方がせっかち」






3.「隠された窓」
「異性と話すのが苦手」
4.「未知の窓」
「絵がうまい」


 この場合、Aさんがテレビドラマが好きだということは、周りにも知られています。本人は気づいていませんが、周りは「喋り方がせっかちだな」と感じています。また、異性と話すのは苦手ですが、そのことを誰にも教えていません。そして、絵の才能があるのですが、それが発揮される機会はまだないようです。
 さて、一般的に、コミュニケーションの不全はこの中の2・3の窓が大きい場合に起こる、といわれています。相手と自分との「自己(私)」に対するイメージのずれが大きいんですね。Aさんの例だと、せっかちな喋り方なので、周りの人が急かされたり、話を聞き逃したりしてしまい、困ることがあるかもしれない。でも、それには本人はなかなか気づかない。また、異性と話すのが苦手なのに、周りはそれに気づいていないから配慮ができない。こうしたずれは、ストレスの大きな原因になります。

 <スムーズなコミュニケーションのためには?>
 ジョハリの窓のモデルでは、1の「開放された窓」を大きくしましょう、と言われます。相手についてわかっている情報が多ければ、コミュニケーションはそれだけスムーズに進む、というわけです。

自分が知っている 自分が知らない







1.「開放された窓」
2.「盲点の窓」






3.「隠された窓」
4.「未知の窓」

 「盲点の窓」を小さくするためには、他人から出来るだけアドバイスを受けるようにする、または受けやすい雰囲気を作ることが大切だ、といわれています。「こういうところがあるよね」というようなフィードバックをきちんと受け止めることで、自分への理解が進みます。また、日常生活の中での疑問を感じた際、それを反芻してみる、という作業も有効だと思います。例えば、不可解な対応をされた時に、「あの時どうしてああいう対応をされたんだろう」と考えることは、自分に対する理解が深まるきっかけになりうると思います。ただ、あまり考えすぎると煮詰まりますから、考えたことを他者に聞いてみるというのも有効だと思います。

 「隠された窓」を小さくするためには、自己開示が大事だとされています。自己開示というのは、ありのままの自分を打ち明けること。つまり、自分についてぶっちゃけて話すわけですね。それによって「自分」を相手が理解してくれれば、それだけ相手の対応も変わってくるわけです。社会心理学では、「自己開示」を行うことで、相手との親密性が増すという点も指摘されています。

 そして、自己開示には「返報性」という性質があることが知られています。返報性というと難しいのですが、自己開示された側は、同じくらいの自己開示を返す傾向があるという意味です。好きなスポーツの話をされたら、同じような話をしますし、極めてプライベートな話、例えば好きな人の話をされたら、同じように個人的な話をするわけです。お互いに同じような自分にまつわる秘密を打ち明けあうわけですね。こうした自己開示をお互いに行うことで、相手のことをより理解し、親密になる。そして、それとともにコミュニケーションもうまく進むようになる、と考えられているわけです。

 4の「未知の窓」はでは何かというと、自分も他人も気づいていない部分です。ここには色々なものがあてはまります。自分にも他人にも知られていないわけですから、まさに未知の領域です。性格、興味関心、何かの才能などなど…この未知の領域を少なくし、自分に対する理解を深めていくこともまた、人生の一つの大きなテーマだと考えられます。

 <自分を知ることと、子育て>
 「盲点の窓」や「未知の窓」を小さくしていく、つまり自分を知る、というのは結構大変な作業です。それが良い事柄でも悪い事柄でも、新たな自分の側面を知るというのはストレスになります。特に悪い事柄の場合は、それを受け入れるのが困難な場合もあると思います。
子どもは、こうした「盲点の窓」や「未知の窓」を、時として無理矢理突き破ってくる存在です。大人であれば、言い方やタイミングを考えた接し方をしてくれることが多いでしょう。子どもももちろん考えてはいると思いますが、精神的に未成熟な分、衝動的にものを言う機会が多くなります。お説教やけんかをした時に、子どもが「お母さんはお姉ちゃんに甘い!」とか「お父さんは!」などと言ってくることは結構あるのではないかと思います。こうした会話の中で、親が自分では気づかなかった面を指摘されると、心の準備が出来ていない分、ショックは大きいでしょう。「それは図星かも知れない…」という風に。子どもとの関わりが時としてつらいのは、こうした突然性があるからだともいえます。
 しかし、子どもが見ている視点、というのはやはり大人とは違います。友達との関わり、恋人や夫婦の関わり、親との関わりなどなど、これまでの関わりとは、また違った視点で「自己」を見ています(もちろん、大人でも人によって視点は様々ですが)。色々な人と関わるということは、それだけ色々な、自分の「盲点の窓」「未知の窓」を見ている人に出会うわけです。ですから、自分をより深く理解するためのチャンスにもなります。
 ただし、無理は禁物です。自己を知ることは、先ほども書きましたが、非常に心的負担の大きい作業になります。それを受け入れて行く作業は、じっくりと自分のペースで行うことが大事になってきます。あまりにつらくなった場合、日常生活に支障を来たすような時には、専門家の相談を受けることも必要です。

<とりあえず、のまとめ>
 最後になりますが、生まれた時から完璧に自己理解が出来ている人、というのはいないわけです。自分の中にある未知の領域があるからこそ人生は楽しい、という人もいます。子育ての中には、自分の中にある未知の領域を知り、子どもとともに成長していくという要素が含まれているのではないでしょうか。より良いコミュニケーションのために、大事だとされていることを、今回は書いてみました。上手に、適切に取り入れることで、みなさんの暮らしがより豊かになればよいな、と思います。


東村山市教育相談室・専門相談員 清水洋邦

2005年6月号

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