東村山市教育相談室・専門相談員の清水洋邦さんの、心理学の立場から思う「子育て」についてのお話しです!


第4回 感情の発達
 ひところの暑さも多少和らぎ、朝や夕方は大分涼しくなってきましたね。
 その代わりと言ってはなんですが、台風や雨が多くなってきました。徐々に徐々に秋めいてきているなと感じます。
 秋といえば、スポーツ、芸術、食欲、読書などなど色々な言葉が思い浮かびます。前回は本をテーマに書かせていただきましたので、読書の秋を楽しむきっかけになると嬉しく思います。

 <日本人の語彙は?>
 さて、突然ですが、普段我々が使っている言葉、単語の数がどれくらいかご存知でしょうか。
 先日読んだのですが、大野晋著「日本語練習帳」(岩波書店)によると、新聞や雑誌に使われている単語は年間3万語、しかしその半数はその年に1度くらいしか目にしない単語なんだそうです。また、日本人の語彙は数万語程度だそうで、例えば今の大学生で1万5000語〜2万語くらいではないか、とも書かれています。
 実際に生活していく上では3000語あれば間に合うのだそうです。しかし、滅多に使わないような単語も、それを使う時のために蓄えておくことが大事だと筆者は主張しています。そのときにピタッとあう美しい表現ができるかどうかが問題だというわけです。

 <語彙と専門性>
 この本を読むまで、私自身まったく意識してませんでしたが、3000語というと、かなり少ない印象を持ちませんか?
 ちなみに、「広辞苑」(岩波書店)の第五版の項目数は約23万だそうです。また、手持ちの「心理学小辞典」(有斐閣)は一般事項約2300とあります。どちらも、その全てを把握するわけではないにせよ、日本語には実に言葉が多いということを実感できるのではないかと思います。
 実際には、上の3000語という単語を基本に、それまでの経験などから単語が加わり、数万語の語彙を作っているようです。3000語より先の単語というのは、その人の職業や趣味、興味、関心などによって差が出てくるのでしょう。会社員なのか、学校の先生なのか、文筆業なのか、などなど…
 では、子育てという側面においてはどうなのでしょうか?
 私は子どもを育てる上で、語彙というのはとても重要だと考えています。子育てに関わる言葉というと様々なものがありますが、私が特に重視したいのは「感情」を表す言葉です。これに関しては、どれだけ知っていても損をすることはないと考えています。
 なぜ、子育てにおいて「感情」を表す言語が必要なのでしょうか。
 それは、子どもの感情が育つプロセスと関係があります。

 <感情はどう育つのか>
 びっくりされるかもしれませんが、感情というのは生まれ時から成人と同じものを持ち合わせているものではありません。正確に言うと、様々な感情(例えば「嬉しい」「楽しい」「悲しい」など)が細かく分かれていません。生まれたばかりの赤ちゃんの感情は、「快」「不快」の二つしかないとされています。この二つの感情から、次第に様々な感情が分化していき、様々に複雑な感情が育っていくと考えられています。
 この感情が細分化していく過程というのは何かというと、実は周囲の人からの語りかけ重要なポイントとなります。
 例えば、楽しそうに遊んでいる子どもに対して「楽しかったね」という声かけをしてあげる。そうすると子どもは、今自分が感じている感情は「楽しい」という感情なんだ、という風に言葉と結びついて感情を細分化させていく。「快」というグループの中に「楽しい」という感情ができるわけです。同じように、悲しいことがあったときに「悲しいね」、嬉しいことがあったときに「嬉しかったね」という声かけをしてあげることで、感情は細分化されていきます。子どもがその感情を感じているときに、その感情にあった言葉で表現してあげないと、感情は育っていかないわけです。

 <辞書や本では学べない?>
 そんなことはない、辞書を引けば意味は書いてあるじゃないか、という意見もあることと思います。
 実際、辞書には感情についての言葉も載っています。例えば広辞苑で「楽しい」を引くと、「満足で愉快な気分である。快い」というような解説はあります。でもしかし、「愉快な気分」ってどんな気分だろう、というのがわからないと、結局のところこの解説では「楽しい」が具体的にどんな感情なのかわからないわけです。日常、言葉としてはあまり使わない感情、例えば「おもはゆい」とか「わびしい」とか、こういった言葉を辞書で調べて、表現を豊かにするという面では、辞書は非常に有効なツールだと思います。
 また、本を読むことによって感受性は豊かになる、という意見もあります。
 本を読む場合、例えば物語文だと、主人公の気持ちになって読み進めていけば、同じような気持ちになることもあると思います。「〜なので、○○は悲しかった」という文章を読んで、「自分も今、悲しい気持ちなのかな」と思うかもしれない。ただ、おかれてる環境が違いますから、やはり、「本に書かれている感情」と「自身が感じている感情」が完全に一致するとなると難しいと思います。
 読書が心を豊かにするというのは、ある程度感情が発達してきてから、さらに感受性を深めていくという方向性なのではないかと思います。「感情の」発達に合わせて読まないと、何がなにやらさっぱりわからないのではないでしょうか。例えば小学生の子どもに文豪と呼ばれる作家の作品を読ませても、深いところ、心の動きというのはさっぱりだと思います(文章が難しいという面は置くにしても)。あとは、日常できない経験を文章を通して擬似体験する中で、自分の感情の経験を深めていく。そういう部分は、本の強みだと思います。

 <感情を学ぶためには>
 感情というのは、目に見えないものです。
 例えば、「りんご」とか「犬」とか「新聞」といった、物の名前を教えるときには具体的にそれを示せばいいのです。でも、感情の場合はそれをぽんと見せることは出来ない。「友達が泣いている」というような「感情を表現する行動」は見ることが出来ても、その心の動き自体は本人が体験しないとやはり難しいんです。だからこそ、感じた時に適切な言葉で表現してあげると、すっと入っていく。
 こうした言葉かけというのは、親以外の人からでももちろん影響されます。だから、子どもとの関わりにおいては、できるだけ正確に表現できた方がいい。これには「子どもがどういう感情を感じているかを察する」という段階と、「それを正確に表現する」という二つの段階があります。親はその他大勢の大人よりも、やはりその子どものことをわかってるんですね。「子どもがどういう感情を感じているかを察する」というのは、やろうとすれば容易にできる。だから、その次の段階をどうするか、というのがテーマになるわけです。
 感情を表す語彙が重要だと書いたのは、そう言う部分なんですね。既に知ってる言葉でも、改めて意味を正確に学び、また、様々な表現に取り組んでいく。それによって、子どもの感情の表現がより豊かになり、子どもの感情そのものも深みのあるものになっていくのではないでしょうか。

2005年9月号

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