ママとパパのリレーエッセイ
ー第20回ー
KAZUさん


 結婚して早や、13年! 妻となって13年。母親となって8年。

 新婚生活は米国で過ごしました。出会ってから1年足らずで結婚して、いきなり海外での新婚生活。頼れるのは夫だけ、という生活から始まりました。

 夫とは今でも友達同士の感覚ですが、今では子供2人を育てる母としてまた、家計を切り回す立場として、私無しではこの家族どこかに漂流していくのでは、と思うところまで進化してきました。

 今振り返ると、新婚当初の海外生活が、今の家族の成り立ちを 位置づけたように思います。

典型的な大阪人で、言うことやることがコロコロ変わりますが 限りなく優しい夫は、異国での私の生活の全ての面で気を遣ってくれました。 英語の学校や同じく赴任中の日本人奥さんの友達、はたまた、何もしてないと退屈だろう、と私の仕事までと色んな方面でサポートしてくれました。私は語学だけでなく水彩画やフラワーアレンジメント、パッチワークにデコバージュと習い事、趣味の領域を増やし続け、仕事については、大学のウィメンズリーグでのボランティア仕事、更には結婚前にしていた建築の仕事を生かし、設計事務所で図面引きの仕事までするにいたりました。自慢じゃありませんが、私の図面はきれいだということで(当時は米国でもまだCAD以前の時代)事務所の中では随分と重宝されたのです。

 いつのまにか、主人に頼らなくても勝手に行動できるようになり、 色んな情報を得て、休日は私の提案に乗るようなこともしょっちゅうでした。夫の大学の夏休み、春休みを利用して、北米大陸、欧州をバックパックで旅することも加わり結婚当初からの夫との友達関係に更に磨きがかかり、それが今でも続いているような感覚です。

 米国での生活は、行動面だけでなく社会を見る点でも夫と同じ視点を獲得できたように思います。 世界にはこんなに色んな人がいて、色んな考え方があって、みんな色んな生活をしてるんだ、と。

 みんな自分のことをしっかり知っていて、自分の生き方にブレがない。 他人との線引きはきっちりしてるけど、困っている人が目前に居れば躊躇なく手を差し伸べる。
ハンディを負っている人でも、公共の場で誰も小さくなって恐縮なんかしていません。 人種のこととか政治、教育のこととか、とんでもない程奥が深くて簡単にはいかないはずだけれど、時と場所を同じにする日常生活の中では人との関係の結び方をみんな考えている。

 もしかしたら海外生活の中で、小さいことが大きく見えたのかも知れません。でも「多様性」ということを実感し、「多様であることを受け入れる」ことを知ったのは、この生活を夫と共有できたからだと思います。

 そして、このことを私たちは子供に一番伝えたい、実感して欲しいと願っています。日本だけでなく、世界を相手に生きて欲しい、という思いが強く、大それた願いだねえ、と夫と話たりしています。
 あれから10年近くたち、日本の社会も随分と変わってきました。 家の外、知らない同士の関係でも、結構みんな気軽に関係作りを行うようになってきました。

 でも、私たちが米国で感じた「多様性を受け入れること」は、なかなか目に見えません。 日本の社会の中では、多様であることが、初めから見えないところに置かれていてみんな感じない、そして表に出てくる時は巧みに隠蔽されているそんな気さえすることがあります。

 でも、きっといつまでもそんな風にはいられないんでしょうね。少なくとも私たちの子供が大きくなって、社会に出る頃には。
  これから私達が、子供たちに何を残せるか、普段の生活の中で、少しでも多く考える時間を持っていきたいと思います。

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