ママとパパのリレーエッセイ
ー第25回ー
かぶさん

はじめましてかぶです。息子は先日4歳になりました。幼稚園の年少です。4月から 年中になります。今の3クラスが2クラスになり、クラス編成、担任の先生も変わります。どうなることやら・・・・。

 息子は4歳。自分のことを4歳になって大人になったと思っている。というより、おとことおとなおんなの違いがいまひとつ分かっていないのである。
 自分はまだ子どもらしい。お友達のりかちゃんはおとこかな?でも「ちゃん」ってつくのはおんなよって、ママは言ってた。「くん」をつけるのはおとこなんだって。ママは大人だよな。ぼくはもう4歳だ。だからもう大きくなったんだ。だからぼくは大人だ。ママは大人、パパはおとこだ。パパは大人じゃない。だからパパの言うことなんかきかないんだーい。
 
 変てこな彼の理屈が続く。

 口うるさいママの言いつけは年がら年中一緒にいるから、きかないとママが爆発してうるさいので大体はよく守る。ママは守るまでしつこく怒るから。でもたまにいるパパの言うことはなかなかきかない。パパが怒ると「だってパパ子どもでしょ。怒らないで」と言う。パパは大人よといくら言っても、「パパはおとこだよ。」と平然と言う。そうすると、例のごとく、パパの雷の何倍ものママの雷が長く続くことになる。

 毎回のこと・・・・。そろそろ悟れよ我が息子よ。 
 「パパは男だけど大人なのよ」といくら言っても、何だか理解できない。。どうして大人の言うことには「ハイ」と言わなければならないのか、お友達が僕のことを怒ったら僕も怒っていいのに、大人の人が僕を怒ったときは僕は怒っちゃいけないの?どうして?

 彼の論理はめちゃめちゃである。彼と話していると、私はときどき自分でも何と説明すればいいのか分からなくなることが多い。

 最近いろいろな嫌な事件があるたび、家庭の教育力が落ちているとよく言われる。 昔は、大人のいいつけは守るもの、親は大切にするもの、自然に習得した気がする。人のつながりが深かったからなのだろうか。
 今の世の中は、一つ一つのことを親が子どもに教えなければならない。善悪の区別、礼儀作法、人への接し方・・・・。親が教えなければ子どもは出来ないまま大人になる。100%親が子どもを作るような社会になってしまった気がする。

 わたしは、たまたま結婚するのも子どもを産むのも人よりだいぶ遅かった。だからか完璧でない「いいかげんな育児」がヤンママさんより出来ているのではないかなと自分では思っている。子どものためを思っていろいろやるけど、完璧は目指さない。 どうしても人と比べちゃうけど我が子は我が子と後で思いなおせる。
 親の教育力が落ちてるんじゃなくって、社会の親を教育する力が落ちてるんじゃないかな。社会で親をしっかり見守ってフォローしていけてた時代があった気がする。今よりずいぶんおせっかいさんが多かった時代。今よりたぶんあったかいものが流れていた時代だろう。

 先日、あるサークルの役員の集まりで、サークル員がサークルの仕事を積極的に引き受けないという話題が出た。加入するにあたっての条件になっていたはずなのに、「都合がつけば手伝う」「子どもが小さいから手伝えない」など、いざとなると断る人が多くサークル活動が潤滑に進まないという言い分だ。でもはたしてサークル員の意欲だけの問題なのだろうか?
 そういう話題が進む中、私は、何だか世の中の人間関係がぎくしゃくしやすくなってきているのかなあとふと思った。相手のことを考えなくなった社会。こうしなければならない。こうするべき・・・・。

 自分中心が幅をきかせはじめたのだ。 ○○しなければならないのにしないのは間違っているという考え方でなく、どうすれ ばみんなが○○できるか?と考えられないのだろうか?○○できなければ、少し規模を縮小してできる範囲でやろうよ。とはならないのだろうか・・・。
 幼稚園の役員、学校の役員、クラスの役員・・・・子ども関係のいろいろな役がこれから増えていくだろう。役を完璧にこなすのが素晴らしいんじゃなくって、みんなで何かをすること、何か子どものためになることを みんなで考えることだけだって立派な成果なんだって。もう少し肩の力を抜いた人付き合いが出来ればいいなあと思う。でも自分だけの社会じゃないので、なかなかそうはいかなそう・・・。今から自分でジレンマを感じてしまう私。
 もうすぐ卒業、卒園シーズン。新しい旅立ちが多い季節。我が子が入園したことによる我が家の幼稚園生活も2年目に入る。 さて、私に何ができるかな?どこまでもお気楽に考えたいかぶと虫のかぶでした。

 そうそうお気楽すぎて、家では最近、だんな様を全然大事にしてないなあ・・・ ・。かなり反省。パパごめんなさい。ダメな妻で、母です。お気楽もほどほどにしなくっちゃ・・・・。それでは次の方にバトンタッチします。

コラムトップにもどる 過去のエッセイを見る

2005年3月号