ママとパパのリレーエッセイ
ー第44回ー
satomiさん

私は子どもを産むのが怖かった。子どもの頃から、私のセルフイメージに、結婚、母親、家庭という類のものは、全く存在しなかった。
 中学卒業のときに、「20年後の私のクリスマス」というタイトルで作文を書かされたことがある。クラスの女の子のほとんどが、「夫と
子どもに囲まれて、クリスマスケーキを食べている。」といったような内容だったが、私だけ、「山小屋に一人籠って、本を読んでいる。」という
風変わりなものだった。
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そんな私が、たまたま勢いで結婚したのは、非日常が日常となり、逆に洗濯や掃除といった日常のささやかなことに新鮮な喜びと発見をするようになった頃だった。

それでも子どもを産むのは怖かった。その「怖さ」が、一体どこから来るものなのか、自分でもわからなかったが、母になる自分は全くイメージできなかった。そして、10年来の夢が今にも手に届きそうになったとき、思いもよらず私は妊娠した。山村の小さな病院で妊娠した自分の子宮をエコーで見た瞬間・・・私は、自分でも信じられないのだが、その一瞬で母になった。33年間のセルフイメージは、その瞬間、ぶっ飛んだのだ。
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夢を手放したことに対する後悔は、不思議なことに全くなかった。

 妊娠中は今思い返しても、人生の中で最も幸福な時間が流れていた。自分の役割、目的は、実にはっきりしている。迷いは一切ない。妊娠するまでは、数ヶ月に一度休みがとれるかどうかの状況だったが、堂々と、休むことができる。揺るぎない安心感と安定感の中にあった。

オムツから産着、お宮参りのときに着るベビードレス、帽子、おくるみ、よだれかけ・・・今まで針と糸を持ったことがなかった私が、やがて産まれてくる子どものために、せっせと手縫いで作り始めた。
 
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産まれてからは、一日中息子に話しかけ、ベビーカーを押しているときが一番幸福に感じる女に豹変した。

子育ては、驚きと発見と自分自身との闘いで、もう投げ出したくなるほど疲れるのだが、それでも面白い。私自身が、忘れていた赤ん坊のときからの人生を生き直しているような、そんな気がするのだ。仕事を持ちながら、喘息の持病がある二人の子どもの5回の入院を乗り切るのは、決して楽ではなかったが、予期せぬ事態に強いのか、元来のマゾ的性格が幸いしたのか、いろいろひっくるめても子育ては面白いと心底思う。
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かつての私のように、子どもを持つことが自分が自分でなくなるような不安を抱いている女性がいるかもしれない。そんな女性たち、女の子達に子育てはしんどいけれど面白いよ、思ってもいなかった自分に出会えるかもしれないよと、少しでも伝えていけたらいいなと思っている。 
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ちなみに、中学卒業から20年後の現実の私のクリスマスは、「産まれたばかりの息子と一緒に、教会のクリスマスイルミネーションを、病室の窓から眺めて過ごし、クリスマスの日は退院で、夫、おばあちゃん、妹家族、皆でクリスマスケーキを食べた。」といった、人生で最も忘れがたい賑やかなクリスマス
となったのである。

「人生って、わからないから面白い!」不安になったときは、そう自分自身に言い聞かせている。
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2006年10月号