当時は真冬で、東北の青森ですから、道路も凍結し、私の運転技術で、その凍った道を1時間も走るのは不安があり、翌日休みだった主人の運転で、隣りの市民病院の小児科に行くことにしていました。
その晩のことです。息子が熱で、「うーん。」と言ううめき声がして苦しそうなので、抱き上げて、「○○くん!!○○くん!!」と名前を呼び掛けました。しかし、息子は目を半開きにし、白目をむいて、両手、両足と全身が硬直して、明らかに普通ではない状態になっていました。 |
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「これが熱性けいれんか・・・?」とは、ふっと思い当たりましたが、本で読んでいた知識と実際の子どもの状態を目の当たりにするのとでは、えらい違いで、物凄く焦りました。本当に「このまま死んでしまうのでは・・・。」と本気で思いました。
それから、主人のことを大声で呼び、主人も青くなって「救急車を呼ばなきゃ。」と言い、まだ5歳だった娘も半泣きで、「○○くん!!○○くん!!」と弟の名を呼び続けていました。
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私は、「舌を噛んだらいけない」と、咄嗟に素人考えで、自分の人差し指を息子の口に押し込みました。息子も無意識の中で、ギイーッとすごい力で喰いしばるので、当然痛くて血も出ましたが、「それどころじゃないよ。」という感じでした。本来は、けいれんを起こしている時は、横向きに寝かせて、何もくわえさせたりしなくて良いそうですが、その時はもう必死で、夢中でやっていました。 |
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家族中でパニックになっている中、10分ほどしてから救急車が到着し、真冬の夜中に隣りの市に向けて出発しました。後ろから、自家用車で主人と娘も追って来ました。なんせいなかなので、そんな夜中に他の車は走っていたりしないのです。
もう余りよく覚えていないのですが、救急車の中では、息子は大分落ち着いてきていた気がします。ただ、その病院に着くまでの約1時間は、とても長く感じました。 |
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病院に着き、小児科のベッドまではすぐに案内されましたが、小児科の先生が見えるまでには、2〜30分待ったでしょうか。息子にはその間に救急措置として、けいれん止めの薬が打たれました。「お願いだから、早く診てよー。」という感じでしたが、当の息子は、その頃はもう薬のせいで静かに寝ていました。 |
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病室に朝日が差し込む時間になった頃、ようやく先生がいらして診て頂きました。診断はやはり、水ぼうそうの高熱による「熱性けいれん」でした。男の子には珍しくない症状で、このまま落ち着けば、特に心配はいらないということでした。
主人と娘と3人で、「やれやれ〜・・・。」と、ほっと胸をなで下ろし、また息子を連れて、1時間の道を帰路に着きました。これで、不安と緊張でいっぱいだった長い夜は、ようやく終わったのでした。 |
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あれから、約10年の月日が経ち、娘は中学2年、その大騒ぎの息子は小学校4年になりました。あれ以来、二人とも幸いなことに、大きな病気や怪我も無く元気に育っていますが、本当に子どもを無事に何事も無く育て上げるというのは、大変な技であり、大仕事だなとつくづく思います。自分自身も、そんなに大病、大怪我をした方ではないけれど、改めて自分の両親にも、無事に大人に成長させてもらってありがたいことだと感じています。 |
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普段は当たり前過ぎて忘れがちですが、人間って、やはり、いろいろな人に支えられて生きているのですよね・・・。 |
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