ママとパパのリレーエッセイ
ー第98回ー
Nさん

「健康でなくてもいい。」

一番最初の出産は、母が病気加療中、病院で寄り添う日々を送っていた時でした。
いまから6年以上も前のことです。
その時はまだ孫がいなかった母に孫を抱かせてあげたい、また生きる糧になるように小さないのちが欲しかった。
母は複雑そうでしたが、大きなお腹を抱えて生まれてくる子どもの話をするのは、辛い闘病生活のなかで私にとっても母にとっても癒しになりました。
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そして妊娠中のあるとき、病院で何気なく私はこう言いました。
「健康で生まれてきてくれたらそれだけでいい。あとは何も望まない」と。

何にも考えていない台詞でした。


それを聞いた母はベッドの上で静かに目を伏せて言いました。
「健康でなくてもいいのよ。生まれてきてくれたら。」と。
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二人の障がい児を育て上げた母の台詞でした。


私は3人兄弟の真ん中で、兄も弟も重い障がいを抱えていて、このときすでに兄は亡く、弟も一生を病気とともに過ごす人生を送っていました。
健康なのは自分だけ。だけど両親は私たち3人を区別せず同じように扱って育ててくれた。
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だから私にとって障がいは特別なことではないし、珍しいことでもない、ましてそれで損を感じたこともない。
障がいを障がいと考えて気をまわすのは自分たち以外の他人が考えることだと思うぐらい、自分は理解があるつもりでいました。

ハンディのある兄弟と何年も暮らしてきた自分が、五体満足の健康を望んでしまったこと、健常者と障がい者を区別していたことを自覚してしまって本当にショックで恥ずかしかった。
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わかっているつもりでまるでわかっていなかった。

母は私を責めなかったし、わからせようともしませんでしたが、そんなことを言わせてしまったことを私はとても後悔しました。

そして、6年前の夏、長女を出産。
この世に生まれてきた赤ん坊は生命に満ち溢れていて本当に眩しく、長女が生きて動いていてくれたことが嬉しかった。
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そして健康な体、元気な泣き声に「生きていてくれたらそれでいい」と言う母の言葉を思い出しながら、心の底から安堵した自分がいました。

「健康でなくてもいい。」それは本当にそうだと思える。

だけどいざ子どもを産み、わが子を目の当りにしたとき、その小さな体にハンディがあることを想像するだけで胸が締め付けられる。

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親になって思うのは、子どもの苦しむ姿は本当に辛い。
自分が代わってあげられたらと何度も考え悩んでしまう。だから健康であることを願わずにはいられないのではないか。

「健康でなくてもいいのよ。生まれてきてくれたら。」

この思いを口にするまでどれほどの年月がいったんだろう。そしてどれだけ兄弟を救ってきたんだろう。
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口にすることは決してなかったけれど、健康でなくても愛しいわが子に変わらないことを痛感しながら、どんなに子どもの健康を願ったことだろう。いまはもう亡い母の言葉を、この先何度でも思い出し、その意味を考えることだろう。

あれから6年長女はもうすぐ7歳、次女も生まれてもうすぐ3歳。

健康で元気に大きく育ってくれている二人の娘に感謝したい。
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