ママとパパのリレーエッセイ
ー第99回ー
ともきちさん

33歳、ライターです。去年の夏、自宅で娘を産みました。夫は舞台役者をしていましたが、私の妊娠を機に就職。タクシーの運転手となったのですが、方向音痴が災いして、娘が生後4ヵ月のときに退職することになり、現在は職業訓練校に通っています。
陣痛のなかで産前最後の原稿の校正をし、路上で生後2ヵ月の娘に授乳しながら取材の仕事に行ったりもしましたが、これらを苦労とは微塵も思えないほど、出産・子育ては素晴らしいものでした。
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出産したことによって得られたものは数え切れませんが、敢えて2つ挙げてみました。

●自分の身体と折り合いがついた

思春期には誰でも多かれ少なかれ経験するであろう性的・身体的なものへの嫌悪感。今、思えば、私も母も不器用だったのでしょう。小学6年生の私は、生理が始まったことを言い出せず、汚れたパンツを鬱々とした気分で洗濯機の裏に隠し続け、半年後、それを見つけた母は大激怒! 
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そのときのことがトラウマになったのか、思春期とはとても言えない年齢まで、自分の身体への嫌悪感に苦しんできました。

ところが、妊娠・出産をしてみると、長年、嫌悪し、ないがしろにしてきた我が臓器がフル活躍してくれるじゃありませんか。さらに、マンツーマンで自宅出産をみてくださった助産師さんが、「体重も増えず素晴らしい!」「初産なのにいきみ方が上手!」「よくでる良いおっぱい!」「お股の傷も治ってきれい!」とやたらと誉めて育ててくださる方で、
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その助産師さんに妊娠〜産褥期まで心身ともに預けきったことで、トラブルで始まった娘時代をうまく卒業して母親になることができたと思っています。
それに、いざ娘が生まれてみると、女の子の身体はなんて可愛いのだろう! と惚れ惚れ。10年後、娘が大人の身体になることを嫌悪することなく、「めでたいねえ」と喜びあえるような母娘になれたらなと思っています。きっと10年など、あっという間なのでしょう。
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●時間の流れを実感するようになった

今考えるとおかしいのですが、産後1週間のマタニティーブルーのとき、私は夫をつかまえ、「子どもを産んで、死ぬ感じが分かってしまった!」と訴えて、さめざめと泣きました。
10分間隔の陣痛のなか、一人「今の私でみる最後の夕日だな」と思いながら、西側の部屋で過ごした音のない夕暮れ。分娩中、どこか他人事に思えるほど、時間軸が歪んで感じられたこと。
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いきむときの、あの世とこの世で綱引きをしているみたいなすさまじいエネルギーのやりとり。「これらを、私はもう一度体験する。そのとき私はこの世を去るのだろう」となぜか感じてしまったのでした。
子どもをもつ前は「毎日、同じことの繰り返し」なんてことも言えましたが、子どもの成長をみると、時間は確実に流れていていることを実感します。
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ようやく身体とも仲直りができた。
残り時間がどれだけあるかは分からないけれど、娘が今のわたしの年齢になるくらいまでは一緒に生きていたい、となると今が折り返し地点。

大好きな娘と方向音痴だけれど私にはこの人以外考えられない夫と共に、たった一度しかこの世に生まれてこない自分を、どうやって楽しもう?
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そう考えると、この世界で何をしてもいいんだとワクワクしてくるから不思議です。

すべては妊娠・出産の経験がくれたこと。よくよく考えてみると、長年嫌悪してきた身体が、私を見棄てずに与えてくれた幸せなのでした。
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2011年5月号

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