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私は高校まで九州で暮らし、父はサラリーマンであったが、実家は祖母と母が自営業をしていたため忙しく、全員同時に夕食を食べるというよりも、出来上がった料理を熱々のまま男性から食べ、男性陣が一段落したら、女性陣が食べるという感じで、いわゆる今日あった出来事を家族で話し合うといった空気はなかったように記憶している。
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だからこそ、いまの女3:男1所帯で、あちこちから飛んでくる「ねぇ、聞いて!聞いて!」のすべてに真剣に耳を傾けていては、体がもたないばかりか、深夜になってしまいそうである。
5歳の長女も、1歳の次女にやたらと嫉妬しはじめた。ママの愛情がすべて次女に注がれていると錯覚し、いわゆる“赤ちゃん返り”というやつか。 |
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すねた長女のケアも私なりにやるものの、男親では満足できない様子もあり、 途方にくれることもしばしば。
くわえて、きれい好きに生まれてしまった私は、散らかった絵本やおもちゃを放置できず、 洗濯物の山も見過ごすことができない。片付けるよう体が自然に反応してしまうのである。 |
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こんな感じだから仕事から帰ると毎日が戦争である。
家に帰ってから仕事が始まるといっても過言ではない。
もちろん、妻もがんばっている。
しかし、たまにではあるが、妻と娘が、埼玉の妻の実家に帰ることがある。 |
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ときには、数泊実家に帰ることもあり、そのときはひとりゆっくり羽を伸ばせるため、初日は開放感に満ち溢れ、こんなにゆるやかに時間が流れるのかと、時計を何回か確認したりするほど、のんびり、ゆったりとした時間を享受する。
ところが、ひとりの快適ライフも3日目ともなると、何か物足りなさを感じ、ふと寂しくなっ たりもする。
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あの面倒くさかったガールズ・トークや散らかったおもちゃ、洗濯物の山が 愛おしくなってくるから不思議だ。
自分がいかに、妻や娘との慌しい暮らしのなかで救われていたか、自覚する。
やはり家族はいいものだ。 |
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世の30代のパパは、仕事にも脂がのってきて、何かと忙しい。サラリーマンの曲がり角、勝負時の年代でもある。
家庭でも、子供はまだ小さく世話がかかり、子育て・家事への参加ももはや当たり前の時代 だ。
でも、そんな忙しい30代は、パパであれ、ママであれ、必ず後から振り返ってみると、きっと第二の青春であると思う。 |
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ただし、青春時代の真ん中は、道に迷っているばっかり♪であるが・・・。
そんな青春の1日を大切にしようと気持ちを新たにしつつも、
今日もわが家の3人の女たちのマシンガン・トークは続くのである。 |
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