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ママとパパのリレーエッセイ
ー第127回ー
木村裕美さん

こんにちは。

「子どもとしあわせラボ」の木村裕美です。

なかなか筆が進まず、困ってしまったので、昨日あったことをお話したいと思います。


皆さま、『ポジティブ・ディシプリン( Positive Discipline 以下、PD)』の名前を聞いたことがありますでしょうか。
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育児方法のひとつで「子どもが大人になったとき、どんな大人になって欲しいか(長期的目標)」を念頭に、現在の子どもの年齢・発達等を加味した対応(短期的目標)―― 例えば朝、幼稚園のバスの時間が来るから早く着替えてほしいとき、どんな対応をするのがベターなのか ―― を考えながら子どもと対峙する育児方法です。

「叩かない子育て」「怒鳴らない子育て」方法とも言われます。
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それは、長期的目標を基本ベースにしたときに、その場その場で起こる(私たち親にとっての)問題を解決するために「叩く」ことや「怒鳴る」という選択はない、からです。成長した我が子が「何かあったときに手を挙げる人間」「要求が通らないときに怒鳴る人間」になってほしい ―― そう願う親御さんはいないと思います。だからこそ、子どもに「叩く」こと「怒鳴る」ことをしない、させない、学ばせない。

「育児は叩かなくても怒鳴らなくてもできるんだよ]
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「体罰に頼らなくてもしつけはできるんだよ」

というメッセージを送っている育児方法が PD なのです。また、「長期的目標」がベースなので、0歳~18歳までの子どもを対象にした、お子さんがどの年齢でも対応できる育児方法でもあります。

と、随分長い前振りでしたが、ここからが昨日あったことの本題です。
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長期的目標をベースに PD には、「子どもに温かさを伝える」という項目が出てきます。
「温かさ」。そもそも「温かさ」ってなんでしょう?

私はずっと「温かさ」とはアタッチメント(愛着 = 子どもと養育者との間の情緒的な結びつき)だと思っていました。

親からの愛着行動(例えばハグや抱っこなどのスキンシップ)によって、子どもが
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「自分には安心できる場所(= お母さんの腕の中)がある」

「いつでも安心できる場所があるから、外に向かって何か挑戦してみよう」

と思えるようになる。つまり「温かさ」とは「アタッチメント」であり、子どもが外に向かって挑戦するための《支え》になるものだ、と思っていたのです。
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その話を昨日とある場所でしたときに、ある方が

「あなたの考えている『温かさ』はもちろんそのとおりだけど、それは幼少期の子どもたちに対してであって、思春期を迎えた子どもたちに対しては、その『温かさ』は当てはまらないんですよ。10代の子たちへの『温かさ』は《言葉》。PD のいう『温かさ』には、行動だけじゃなく、言葉も含まれているんだよ。
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その《言葉》は『大好き』『愛してる』ということよりも、『信じている』『何か困ったことがあったら力になる』でも何でもいいんだけど、そこにアタッチメントが含まれない場合・時期もあることを知っていたほうが良いよ」

とアドバイスをしてくれたのです。

その言葉にハッとなりました。

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私はどうしても自分の子どもの年齢・発達段階を中心に物事を考えてしまいます。

子どもが乳児のときは乳児期の子どもに関する知識はあっても、その年齢以上の子どもたちのことについてはあまりよく知りませんでしたし、また関心もありませんでした。けれども、子どもが学童期に入れば学童期に関する知識が中心で、それよりも年齢が高い子どもたちの成長はもちろん、それ以前の乳児期のことについてもすっかり忘れてしまうのです。
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あぁ、と思いました。なんのための長期目標なんだろう。子育てはその場その場の点と点が繋がっているのではなく、ずーっと長い線として続いていて、その中に「今現在の育児」という点があることを、その人は私に思い出させてくれたのです。

私自身の育児は、子どもが10歳になったので、ちょうど思春期のところまできました。10歳は「思春期に入る時期」と定義されているそうです。
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10歳までは親の言葉に耳をかた向け、意見と取り入れるけれども、思春期は自己が形成される時期であるため、大人との対話、話すことがしづらくなる時期であると言います。

私は人間ができていないので、子どもによく怒鳴ります。特に子どもが思春期に入ってからは怒鳴ることが多くなりました。

これはもうパターンが決まっていて、何か問題がおきたとき、まず最初に子どもが「イヤだ」「なんで」と怒鳴る。
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怒鳴られるとこちらもカチンときて怒鳴ってしまう。
まったく、なんのための長期目標なのでしょう。
ここで私自身も怒鳴らずに、できるだけ感情を入れずアサーティブに対応すれば良いのでしょうが、「カチン」という怒りの感情に流されてしまいます。怒りは喜怒哀楽という言葉があるように、感情のひとつで「湧き上がるもの」。ですから、怒りを止める・感じないというコントロールはできません。
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話は逸れますが、感情を抑えつけるのは非常にストレスになり、これはこれでよくありません。

けれども、そこで終わらずに子どもに対峙しているときの言葉に怒りをのせずにいかに語り合うか。きっとこれが思春期の子どもを持つ今の私にかせられたことなのだと思います。言い換えると「怒る」のではなく「叱る」ようにする。このことを常に念頭に置きながら子どもと対峙することが、今の課題なんだろうなと感じている次第です。
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ちなみに「叱る」「怒る」を同じ意味として私は使っておりません。

言葉の定義をすると、「叱る」は 子どもに注意する・問題を指摘する・情報を与える、こと。そして何より[(親の)感情]をのせないこと。このことが「叱る」だと思っています。
対して「怒る」は、「叱る」の定義の上に[(親の)感情]をのせている行為。
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そして、こののせている[感情]のエネルギーを発散させるために体罰にはしる傾向が世の中的にあるのかもしれない……と感じています。

喜怒哀楽の感情は、先にも述べましたが「湧き上がるもの」なので、自分自身では止められないし、コントロールすることもできません。ですが、子どもとの対峙の場面で見せないことは可能かしれない
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―― と言っている私自身が[感情]に負けて思わず怒鳴ってしまい、「しまった! クールダウン。クールダウンよ、私」となることはしょっちゅうなのですけれど ―― そんなことをつらつらと思った昨日の出来事でした。
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