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息子の場合も、保育園に通っている3歳の時に、ドクターから
「広汎性発達障がい、おそらく自閉症です」
と告げられました。
そう…、
自閉症は、広汎性発達障がいという
大きなグループの中のひとつなんです。 |
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女の子を育てていて、
二人目に男の子が生まれて、
普通にお母さんをやっていくのだろう…
と思っていた私は、その時、とてもショックを受けました。
何故なら、
「自閉症は、一生治らない障がい」
だと知ったから… |
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それから、2ヶ月程、私は、泣いてばかりいました。
「これから、どうなるのだろう」…と途方に暮れて…。
でも、いつまでも泣いてばかりは、いられませんでした。
なせなら、息子はそれまでと変わらず、ニコニコしていましたから…
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そして、何より、
いつまでもメソメソしていたら、
息子は、きっと
「僕が生まれたからだ。」
と思ってしまうから…
障がいはあっても、息子は、
親である私の、そういった「心の内」は、
恐ろしく敏感に感じ取ってしまうから… |
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実は、私は、二人の子どもを生む前に、2回、自然流産をしています。
「やっと、念願の子どもが出来た!」
と喜んだのも束の間、
流産してしまう悲しみは、測り知れず…。
結婚7年目にようやく娘を授かり、
その5年後に、息子を出産しました。
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妊娠して、出産して、そこに「命がある」というのは、なんて奇跡に近い、ありがたい事なんだろう。
感謝しなくてはいけない。
だから、もうメソメソはしない。
その時、私はそう決めました。
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それからの私は、
自閉症の本を山ほど読み、
講演会に足しげく通い、
専門家に相談に行き、
「良かれ」と思う療育機関に息子を連れて行きました。
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やがて、同じような発達障がいの子どもを持つお母さん達と知り合い、2004年秋、三鷹市に初めての、発達障がい児の親の会である、「モンブランの会」を発足させました。
その後、
「自閉症スペクトラム支援士」という資格も取り、様々な自閉症の親子の相談に乗ったり、
自閉症や発達障がいの事を伝える講演活動を始めました。 |
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そして、2013年6月、
一般社団法人「発達障がいファミリーサポートMarble」
を設立し、代表理事となりました。
実は、私の本業は、アナウンサーです。
テレビやラジオ、司会やナレーション…といった仕事を20年以上やっています。
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そんな私に、見た目に障がいと判りづらい「自閉症」の息子を授かったのは、この“不思議な障がい”の事を伝えていく、役割や使命があるように思えたのです。
今では、私個人だけでなく、法人の仲間と「キャラバン隊Marble」というグループを作り、発達障がいの事を伝える講演活動をしています。 |
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自閉症の息子を育てながら、今でも、せつない思いや、辛い想いをする事はあります。
でも、もう、後ろは振り向きません。
「今、何をすべきか」…、
「どう行動する事が、息子にとっても、家族にとっても、私にとっても、社会にとっても、いいのだろうか」…
そんな風に、身体が動くように変わっています。 |
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ストレスが溜まりそうな時は、「予防」をしています(^-^)b
◆カラオケに行ったり…、
(ひとりでも行っちゃいま~す!)(笑)
◆親しい友人と飲みに行ったり…、
◆ジムで汗をかいたり…、
◆ベリーダンスを踊ったり…
(習ってま~す!)
◆甘い物を食べたり、自分で作ったり…、 |
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自分が「元気になる素」を色々用意して、
楽しみながら暮らしています。
母親が、元気で、笑顔でいる事…、
それは、子どもの安心につながりますよね。
子育ても、仕事も、趣味も、遊びも、
欲張っちゃっていい!!…と、
私は、思っています。 |
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そして、せっかく「女性」として生まれてきたのだから、いつまでも、美しくいられるよう、努力もしていたい…
それは、けっして、
年齢不相応に若く見られたい (>.<)y-
…という事ではなく、
いつまでも「女性」として輝いていたいのです。
一度しかない人生ですから…ね。 |
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