HOMEコラム>ママとパパのリレーエッセイ

ママとパパのリレーエッセイ
ー第135回ー
平田 えりさん

私は、11年前、2児の子どもをもつ、シングルファザーと初婚で結婚をしました。

当時、パートナーの子ども達は、上が小学4年生(娘)、下が小学1年生(息子)でした。
 

-1-
小学校に入学する下の息子に合わせて三鷹に引っ越してきました。

当然、上の娘は、転校となり、家族全員で、慣れない新天地での生活となったのですが私にとって慣れないのは、継子育て。
-2-
子どもを育てたことのない私が、
いきなり小学生の母親役をやらなければいけないということは、
非常にハードルも高く毎日が手探り状態で、保護者会や授業参観に出向いても、どこかアウェイな気持ちになり、また当時は他のママと比べると若いということと、
継母という立場がいつの間にか浸透し、継娘もまた自分の置かれている家族の構成が複雑なために学校で孤立することも多く、毎晩のように体調の異常を訴えることが1ヶ月続きました。
-3-
そして市役所へ相談をし、
良きカウンセラーさんとの出会いで、
継娘の不安定な部分が多少改善されていきました。

しかしながら、私の継子育ては四苦八苦しており、出産も重なったこともあってか、情緒不安定にもなりました。
-4-

継子たちに何かしてあげたいけれど、
その気持ちも追いつかず、
初めての妊娠出産のため、
体が思うように動かないジレンマ。

継子たちのことも初めての妊娠出産のことも分からないことが多く、
その二つの出来事が同時進行での生活は苦悩続きで、
どこに相談していいのかも分からず、独りで悩んでいました。

-5-
ですが、
継息子を通して知り合ったシングルマザーの友人とそのご家族に助けられ、
パートナーとの間に出来た2人目の実子の出産を期に継子たちと養子縁組をする覚悟を決めました。
-6-
その養子縁組をしたら、
必ず家族になれると信じておりましたが、
現実は、とても難しく、継子たちと実子たちの間には、 溝を深めてはならないと
平等に接していても、継母というだけで、
継子たちと実子たちの差別をしていると言われてしまったこともあります。

-7-
私は、継子たちの母親役ではありましたが、
実母の記憶がある継子たちに
無理に自分が母親だと押し付けることもできず、 自分は継子たちに対して、
どのような存在になればいいのかも思い悩んでいる最中、
シングルマザーの友人のお母様にこんなことを言われました。
-8-

 「無理に母親にならなくていいんだよ。
母親じゃないんだから、
けれど、やれることをやってあげたら、
きっと継子ちゃんたちもわかってくれるから・・・」


-9-
私は、この時、
初めて母親にならなくてもいいんだ。
人としてできることをすればいいのだと気付き、 かなり気持ちが楽になったのを覚えています。
-10-
その後、
無理をして母親になろうとせず、
人として接しているうちに、
継子たちにも変化がみえてきて、
継子たちも私と同じく、
私の子供としていなければならないという
プレッシャーが一気に解き放たれたようでした。

-11-
そして、私の誕生日に継娘から、
自分の気持ちを書いた絵本をプレゼントしてくれました。

その絵本の中には、自分は継子で、
私は継母だけれど、継母である私にしかもらえないものをたくさんもらっていると書かれていました。

その絵本を貰った時、号泣したのを覚えています。
-12-
今では、継娘だけではなく、
継息子も、
私が本当の母親ではないけれど、一生縁は切りたくないと言ってくれるようにもなり、
完全な母親になろうとする努力よりも、継子たちの一番のファンであり、
サポーターでありたいと思うことで、
私たち家族はひとつになることができたのだと思います。
-13-

継子育ては、
非常に困難でしたけれど、
実親も継親も継子も、後から生まれる実子も血のつながりに拘らず、
継子たちとの命の縁を大切にこれからも楽しく生活をしていきたいです。

そして、 私のこの経験を活かし、
数多くのステップファミリーの方々の力になれるよう、
NPO法人M-Step 理事長として活動していきたいと思っています。

-14-

コラムトップへ   過去のエッセイを見る

2014年5月号

子育てコンビニトップへ