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ママとパパのリレーエッセイ
ー第143回ー
松田吉広さん

かれこれ、子育て時代を過ぎて何をリレーすればかと迷いながら最近起こったことを振り返り、夫婦2人で百歳を越す歳となり、互いに結婚式で初めて共同作業としてケーキカットするあの時の気持ちを持って「愛してるよ」と妻にさりげに言う最近の自分文化づくりを恥かしながら書く事にしました。
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子は親を見て育つといいますが、このことをもっと早く実践していれば、子供たちに残せる無形の遺産になるかなと思っています。
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ごく平凡な共働き夫婦として、家計負担を軽減する為に日々明け暮れていた頃、「健康管理」というものが自分たちの生活優先度の中で一番後回しになっていました。
ある日、妻が膝の手術をすることになり都心の大学病院で1ヶ月入院することになりました。共働きをしていると夫婦公平だ、と正当性を主張する夫として、ここで日常の家事について始めて妻の大きな存在感に気づき、夫婦間の「おもいやり」なさに猛省するのです。
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入院時は退社後病院に立ち寄り、洗濯物を持ち帰り洗濯して、「仕方がない」が口癖になっていました。
そんな毎日で独り食事を(お惣菜がほとんど)している自分にハッと気がつきます。
帰宅時間が毎日夜10時の頃は、何気なく傍にいる妻の存在が当たり前で自分の腕であり指であり、足でありあって当たり前のもので、欠如すると不自由するなと気づくのです。
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しかしあって当たり前の存在に、悲しいかな夫として感謝することはありませんね。退院直後は車イス生活から杖になり、移動に暫く介助が必要な生活が数ヶ月続きました。相手を「おもいやる」ということは相手の不安を解消する言葉、行動ですよね。多分妻は入院中、全ての家事をこなせない夫に気苦労が多かったと思います。砂糖の予備はあそこ、洗濯物は畳んでこのタンスの…、に対し、心配するな今はリハビリに励め、とはっぱをかけるくらいです。

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そんな中、転機は快復に向かう頃のことです。
関西の実家には夫婦2人で百六十歳を越える両親が健在で、互いに加齢障害を持ちながら老老介護しています。
高度経済成長時代に不便でもマイホームマイカーを持つ昭和生まれの高齢者が住む宅地分譲地です。
同世代の人達が暮らし、相方が亡くなり独り暮らしが多くなりました。
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隣に住む昔から馴染みのおばちゃん(おばあさん)は夫に先立たれ、子供達と暮らすことなく、ホームに入ることなく暮らしていましたが、昨年近くの児童公園で倒れて亡くなっていました。そんなこともあり実家にもどり、ふと気づくと亭主関白の父が老体にムチ売って、積極的に母の手伝いをしている微笑ましい姿がありました。そんな父が母に捨てられまいと必死になる年齢も過ぎているのに、恥かしさに茶目っ気だして「愛してるかな」と子供がびっくり恥かしいことばを言っています。

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生きている間にしか出来ない夫から妻への無償で最大のおもいやり、「愛してるよ」は夫から妻に送り続けていくメッセージであるべきなのです。
子育てママである前に妻であるし、夫婦の愛は家族の大きな土台です。
この言葉一言でどれだけ癒されるものか、計り知れない力を持っています。
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その夫婦の姿を見て育つ子供達は、教えずとも「おもいやる」ということばの理解を体得して人間力を高めてくれると信じています。
僕の友人に年に一度は妻の前で、大きな声で愛を叫ぶ運動を群馬県嬬恋村でやっています。
日本愛妻家協会
http://www.kyabechu.com/
一度、夫を騙してドライブで連れて行き、宣言させるのもいいかもしれませんよ。
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