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アイコンママとパパのリレーエッセイ
ー第148回ー
河瀬謙一さん

はじめまして。井の頭一丁目に住む河瀬と申します。
41歳で三鷹市民デビューを果たし、SOHO CITY みたか構想、市民プラン21会議、まちづくりディスカッションなどに係わり、1998年から17年間SOHOコーディネーターを務めています。よって、ネットワーク大学の身の丈起業塾では事業計画作成のコマを受け持ち、三鷹産業プラザでの実学道場ではSOHOスタイルの経営を教えています。また、自らSOHO事業者としてマイクロビジネスを実践しています。
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さて、私の子どもは娘と息子の二人です。
既に30歳前後となり社会人として会社に勤めているので、「子育て」はとてつもなく忙しい時期として、また美しい思い出として私の中に残っています。当時は、夜中にミルクをつくったり、オシメをかえたりと、皆さんと同じように頭を抱えたくなる時期を過ごしました。子育てとは体力ですね。

赤ん坊から幼児の頃までは、スキンシップと称して肌のムチムチ感を楽しみ、小学校に入ると井の頭公園に遊びに行く休日を過ごしていました。
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父親の視点から子ども時代に観ていたのは、将来どちらの方面で活動しそうか、という点です。その萌芽は小学生時代にあると確信していました。なぜなら自分が図画工作の好きな少年であったため、大学も工学部に進み、サラリーマンやSOHOスタイルで起業した後も「何か」をずっと作り続けているからです。毎日のように紙に絵を描き工作をしていた自分を振り返り、今度は彼らの興味の所在を観察したものです。
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上の娘はいわゆる左脳の人間で、ものごとを一つひとつ忠実に積み重ねるのが得意でした。音楽が好きでピアノやチェロに触れていましたが、これらは反復練習が基本です。私には子ども時代に決められたことを毎回繰り返す、ということはまったく信じられないことです。

息子は自分の思ったものを作りたくてしようがないタイプで、いわば右脳の人間です。
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4~5年生の頃、段ボールで作った迷路はパチンコ玉を転がして遊ぶもので、平面だったものが5階建てまで進化したときには、つい私も唸ったものです。


子どもは中学から高校へと進み、お年頃になると親の言うことは聞かなくなりますが、社会人になると自分を再発見して元の場所に戻るようです。結果、娘は事務系の仕事を、息子はデザイン方面のディレクターの道を選びました。
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今の私の希望は、仕事を通じて様々な経験・体験を積んでいってほしいという事です。20歳代、30歳代はメチャメチャに働いても、心も体も大丈夫。それが40歳も過ぎると、何かと慣れた方面に進みがちで新方面へのチャレンジには抵抗感が出てきます。そうなる前に幅広い経験を積んでおくことでその後の活動半径を広く保つことができる、と考えるからです。
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最後に、十人十色と言われるが如く。学問に王道がないように子育てにも王道はないと言えます。皆さんそれぞれの考えでお子さんを育てて間違いないと思います。今はどうぞとてつもなく忙しく大変で、手にあまり悲鳴をあげたくなる「とき」だとしても、感じたそのままの気持ちで続けられてください。それが美しい思い出へと発酵変化していくには、もうそれほどの長い「とき」を必要としないものですから。
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