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アイコンママとパパのリレーエッセイ
ー第150回ー
徒然なるママにさん

¡Hola! 異文化大好きアラフィフですっ!

夫、高3男、中3女、小4男、4歳女の計6人家族。これまでず~っと子育てをライフワークとして、長男が2歳半の時から三鷹で暮らして参りました。

現在子ども関係では、図書館やのびのび広場でのお話会、学校PTA、放課後事業、小学校AT、町内子供会等で活動し、自分の趣味として社会教育会館の講座受講、語学のブラッシュアップなどをしております。
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30歳を超えての初産だった為、子育てに最も必要なのは”気力と体力だっ!!“と痛感する今日この頃…(^-^;

このコラムでは、未だに葛藤が続く長男の子育てを中心に、今日まで感じてきたことを徒然なるままに書き連ねたいと思います。

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☆悪夢の出産

出産予定日直前の引っ越し、母体は小さいのに巨大児など悪条件が重なる中、十数時間に及ぶ難産の末、吸引分娩で長男を出産。立ち会いの家族は「チアノーゼみたい」と訴えたが、夜中の出産で人手が足らず保育器に入れられたまま。その数時間後痙攣の為NICUのある大きな病院に搬送された。我が子をこの胸に一度も抱くこともなくただただ救急車の背中を見送った。とめどなく涙が流れた。
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その後1か月以上直接授乳ができない状態で入院。退院時の医師の言葉「とても過敏で啼泣が激しく、睡眠も浅く育てにくいお子さんなので、自分を責めないで下さい」帰宅後は全くその言葉通りで、夜も寝ないで1日中泣いてばかりいた。

「このままでは歩けるようになるかどうか分からない」と医師から告げられ、生後4か月から肢体不自由児の施設に通所、8か月の時には小児がんが見つかり、入院・手術した。
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脳性麻痺の疑いで訓練を続けてきたが、2歳前に「精神遅滞及び協調運動障害を併発する別の難病の疑いがある”と告げられ、今までずっと腑に落ちなかった長男の症状の謎が解けた反面、長男の前途を大いに悲観した。ただ“長男の発達が遅いのは、自分の育て方が悪いからではなく病気のせいなんだ”と割り切るようになった事で随分気が楽になった。
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半年後三鷹に引っ越し、保健センターやハピネスセンターでの訓練を経て、長男は統合保育枠で幼稚園に入園。卒園を控えたある日長男が言った言葉に救われた。「自分と○○(妹)とお母さんとお父さんが好き!」私は心の中でエールを送った。『そうよ、ずっとこの先も自分の事を好きでいて!』
自分を好きでいる限り、人生ずっと幸せに生きていけると思った。
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長男は年中の冬にもインフルエンザ脳症の疑いで一時意識混濁状態になり、小学校に上がる前に3度もICUを経験した。その時“子どもの生命力ってすごいっ!この子には何か生かされる理由があるんだ。この子を受け入れることが私の人生の課題なんだ。”と感じた。

この出産を通して私は、“命を授かる苦しみ、そして我が子を受け入れる難しさ”を学んだ。“今のままでいいんだよ”と言えない自分が辛かった。悲しかった。
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☆地域で子育て

その葛藤を抱えたまま、療育一辺倒だった長男の子育てでは得られなかった“普通の子育て”を体験すべく、第2子以降はすくすく広場の常連となり、保育園での遊びましょをはしごし、仲間と一緒に社会教育会館で自主グループを作り活動した。三鷹の福祉や子育て支援をフルに活用した。本当に楽しかった。

しかし長男が小学校に上がってからまた新たな壁が立ちはだかった。
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私はこんな長男だからこそ毎日放課後子どもたち同士で遊んでほしかったのだ。昔のように友達同士誘い合って、地域に根差して遊んでほしかったのだ。が、周りを見渡せばほとんどの子が何らかの習い事をしており、人との関わりが難しい長男にとって、毎日放課後友達と約束を取り付けてくる事は至難の業だった。
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放課後遊びは、“誰とどこで何時にどのように遊ぶ”を決める過程においても、また遊びを通しても、子どもがコミュニケーション能力を獲得する上で最も有効な手段だと思ったのに…


乳幼児期に福祉や子育て支援に携わる方の心優しい庇護のもと過ごしてきた親子には、辛い辛~い現実だった。
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子ども同士地域で遊んでほしいと願い、放課後一日も習い事を入れず頑張ってきたが、結局消化不良に終わった。

今思えば“少しでも子供に良い環境を与えたい”という一心で、子どもの気持ちは二の次になっていた。


最近強く思う。“みんな違ってみんないいんだ”と。多様性があるからこそ人はありのまま過ごせる。いじめも起きにくい。
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私自身小さい頃から、日本の“みんな一緒がいい。出る杭は打たれる”風土に違和感を感じ生きてきた。海外で暮らして初めて“異文化でみんな違う事はとても暮らしやすいことなんだ。お互いを認め合い、いじめも生まれない。なんて心地いいんだ!”と感じた。だから最近、少しずつだが、“長男は長男でいいんだ。彼のような人が将来、世界を変えていくのかもしれない!(笑)”と思えるようになった。
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☆複線型教育制度

長男が中1になる年から三鷹でも公立中高一貫教育が始まった。大方の親は我が子にとってどうすれば一番いいのか分からず、焦燥感ばかり先立ち、取り敢えず子供を既存の習い事から塾にスライドさせる現象が相次いだ。公立学校は本来全ての子どもに平等に門戸が開かれているはずなのに、情報格差や経済格差のある親の子は一貫校へ進学できず、限られたエリートを優遇する為の学校になってしまっている。
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公立中高一貫校の余波は中学受験だけではなく高校受験にも押し寄せている。上位校だった高校が中高一貫校となり、そのレベルの高校に行きたかった子ども達が前後の高校に密集し、“塾に行かなければその密集地帯に食い込むことはできない”という無言のプレッシャーがのしかかってきている。

また都立高校の校区撤廃もそこに拍車をかけてきていると思う。
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公立は地元で顔が見える距離で青少年たちを見守るのが大きな利点だったように思うが、校区撤廃後は、青少年たちが地域に居つかず、現実青少年の居場所もほとんどない。このままでは将来、“三鷹に戻って暮らしたい”と思う子たちが育たないのでは…と危惧する。

教育が商品化されてしまっているのが本当に悲しい。
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☆親の役割

“親の役割って何だろう?”2人目が生まれてからこの事が頭から離れない。1人目の時は“子育て”というより“療育”一辺倒だったので、ただただ日々健康に生きていってもらうことだけに心血を注いだ。

そして2人目。“私は親として何をすればいいんだろう”葛藤が生まれた。“生きる力”を身につけてもらう為、今まで親は人間力、表現力を育てることに注力していた。
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だが今はそれに加え、学力向上までもが親の肩にのしかかってきているように感じる。

教育に疎い私はここ10年、“子どもを少しでもレベルの高い学校に。進学させるのが親の務め”という目に見えないプレッシャーに押しつぶされそうになり、いつも気持ちが落ち着かず、心の中に重い石を抱えているような感じがしていた。
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●多様性の中で子供を育てていきたい

●地域で子供を育てたい
 
●“そのままでいいがな(by相田みつを)”

と子どもに言ってやれる自分になりたい最後まで読んでいただき有難うございました。
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