2005年7月7日、三鷹市産業プラザで「第四回次世代子育てシンポジウム2005」が開かれました。 NPO法人子育てコンビニはパネリストとして参加し、また受付も子育てコンビニが担当したんですよ! 基調講演は、慶應義塾大学の小児精神保健医の渡辺久子先生と、厚生労働省の少子化対策企画室長の度山徹さん。その基調講演のあとにパネルディスカッションがありました。 渡辺久子先生の基調講演は「母から子へ 心の子育て」と言う題で、とても一言では表せないほどの深い内容のお話でした(詳しい感想は後述)。 その中で、育児は個人プレーでは出来ないこと、大人から見て見える部分で良い子になっている子どもの裏の孤独な主体性の発達不全がさまざまな障害の原因になっているということを話されました。見えないこころの部分に母親がしっかり寄り添う育児の大切さを再認識しました。またその母子を大きく包む父親の存在の大切さは言うまでもありません。 厚生労働省の度山徹少子化対策企画室長が基調講演のなかで、なかなか働き方に対する見直しが進んでいないということを言われていました。学者や有識者の意見で、これまで少子化対策のすばらしいプランが出されてきましたが、働きすぎで育児参加をしない父親の状況はなかなか改善されていません。少子化については、様々な議論が行われ、机上では課題もすすむべき道も見えてきているものの、現実とは難しい・・・という印象でした。
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シンポジウムの渡辺久子先生のお話は、とてもよかったとの声があちこちで聞かれました。 そして、どこが良かったかということについては、聴いたかた全員が違う部分を指摘されるのです。 つまり内容が広く深いため、聴いた方がご自分のアンテナに合わせてエッセンスをキャッチされたのだと思います。 講演は、先生が育児休暇をとり子育てを始められた頃のことからスタートしました。 子どもと二人っきりの生活を体験されその大変さに驚かれたということでした。 人間の歴史の中で、育児がこんなに苦しい時代はなかったのではないか、 そして今の日本では孤立ということが人間にとってネガティブな問題が発生する 原因になっているということです。 老人問題然り、密室育児然りですよね。 それは人間というものは何歳になっても独りで生きていけないからなのです。 先生は「声を大にして、住みにくいよ日本!と言って欲しい。」と仰っていました。そうすれば心身症の子どもが1/3に減るのでは?とも。 毎日臨床の現場にいらっしゃる先生は沢山の苦しむ子どもを見てきておられます。大人にとってのよい子は無理をしていて、 見えない部分にちぢんだ心を持っています。 のびやかな心をはぐくんでいる子どもは大人から見るとやんちゃで手に負えないことが多いのです。 そして最後に「かぐや姫」と「桃太郎」を例に挙げて、 現代の育児の問題をわかりやすく説明されました。 「かぐや姫」は親子密着の密室育児で親の思い通りに育ったものの、最後には月の世界に行ってしまう。 つまりルナティック(気が狂う)または別の世界にいく(死) という結末で、親の見栄のための子どもの例。 「桃太郎」は、うそ偽りのない親子関係で育った、ありのままの自分を持った子どもの例です。 現代社会で心を病んでしまった子どもたちに接していて「かぐや姫」を連想されたのだと思います。 核家族で子どもと一対一で子育てをしている家が多くなりました。そんな時に外で仕事をするお父さんからの一本の電話や、 ねぎらいの言葉そして育児参加が、どれほどお母さんのささえになることか。 母だけで子が育つのではなく、心の通いあう家族があって、地域社会があって人間は豊かに育っていくのだと思います。 いまだかつてないほど子育てが大変な現代、こどもの育ちの問題が沢山指摘されています。 それをミクロのうちに解決するのが「子育て支援」なのでしょう。 渡辺先生の講演を聴いた人それぞれがたくさんの問題意識や答えのヒントを得ることが出来ました。 内容をまとめることがとても難しく、御著書をゆっくり読みたいと思っています。 nana |
講演の内容で印象に残ったのは、脳の発達についてです。2〜3歳で脳が大きく発達する時期は育てるのが大変。そのあと7〜8歳頃が一番落ち着き、10歳になるとまたスタートに戻り、苦悩の日々が続くという内容だったと思います。 子育ての大変さと脳の発達に関係があるということがわかりました。 これから10歳がやってくるのが恐ろしい。 ゴマ |
たくさん印象に残ったところはあるのですが、その一つに「今のお母さん達の大変さは周囲にみえにくい」というお話に、 「そうなんだなあ、だから理解されにくいのだよなあ」と深く納得しました。つまり年配の方々にとって、今のお母さん達はとても恵まれているように見えるから、どんなにしんどい思いをしているか全然つたわってない。戦後、高度経済成長期、現在という時代の変化がお互いの理解を妨げているということだと私は理解しました。 また、祖父母の人が赤ちゃんの泣き声をきいてたまらない気持ちになることもあるとおっっしゃいましたが、ほんとに赤ちゃんの泣き声にはその人の辛い体験を呼び覚ますようなところがあると思います。 ある意味、赤ちゃんを育てることは、自分自身の中の赤ちゃんに向き合うことでもある。だからすごくしんどくなる人もいること、それを理解できる人がたくさん増えてほしいと思いました。 というのがとりとめのない感想です。 キリコ |
2005年8月号