力を抜いて,ゆったりと・・・・


第50回   東日本大震災を体験した今、思うこと


■東日本大震災から6週間
日本がいまだかつて経験したことがないほどと言われる東日本大震災から、6週間が経ちました。
いつものように、桜は咲き、色鮮やかな春の花が次々に咲き誇っていますが、わたしたちの心は、不安でいっぱいのままです。
地震の被害だけでなく、収束の予測が経たない原発の被害、被災地の方々の気の遠くなるようなご苦労を思うと言葉もありません。

そんな中、計画停電もなくなり東京は普段通りの生活に戻り、大地震と原発のことが日常に紛れつつあることに、自分の無力さや弱さを感じています。
もうすぐ3月11日から数えて七七日を迎えますので、振り返ってこの大きな災害について考えたことなどをまとめてみたいと思います。

■3月11日、わたしは・・・
3月11日、わたしは、外出先から帰宅してしばらくしたところで強い揺れを感じました。
ただ事ではないと思い、あわててダイニングテーブルの下にもぐり、ガスファンヒーターを止めたように思います。
ガスファンヒーターを止めたのが、揺れが収まってからか、揺れてすぐかは、もう記憶にありません。
とにかく恐ろしいことが起こったと思い、速く揺れが収まるように一人で祈っていました。とても長い時間に感じました。

大きな揺れの後、夫からすぐに携帯に電話が入り、お互いの無事は確認できました。大学の図書館にいた娘とも連絡が取れ、様子がわかるまで、その場に待機するように伝えましたが、図書館の本が散乱し大変だったようです。
その後息子とも連絡が取れ、会社に残った夫を除く家族全員自宅に揃い不安な一夜を過ごしました。
一晩中つけっぱなしのテレビから流れる情報と映像を見続け、親子で久しぶりにいろいろな話をしました。
子どもたちは、もう成人しているけれど、命に関わる危機感をおぼえたのは、わたしも含め、うまれて初めてのことだったので、不安や動揺は隠せません。子どもたちは、友達とツイッターや携帯メールで無事を確認しあっていました。
わたしはというと、子どもたちが小さかったころ、こうやっていつも3人でいたなあと懐かしい気持ちになり、こうして家族が無事でいられることを感謝していました。

■日本は大きく変わっていく
そんな中わたしが考えていたのは、日本は大きく変わる、これまで見えなかった様々なことが表に出てくる、今まで見て見ぬふりをしてきたことや、大丈夫だろうと漠然と思っていたことや、自分中心の狭い視野で見ていた多くのことが表に出て、それらをみんなで解決していかなければならななる。
そんな時にみんなで知恵を出し合わなければいけない。
そのためには、面倒だと思っても、自分で調べ、学び、考えなければいけない。
わたしはもう歳をとっているから、若い世代が頑張らなければいけないよと、そんな話を子どもたちにしていように思います。
あとから聞くと、わたしは、一人でわけのわからないことを喋りまくっていたそうです。

どうして、そんな風に思ったのかというと、わたしたちは、豊かな生活に慣れすぎて、楽な方に流されてきたように思うのです。
大量生産、大量消費の時代に暮らし、自分でもこれではいけないと心の隅っこで思いながら、つい手間のかかることを省略したり、使い捨てのものを気楽に利用したりしていました。
電力についても、節電を心掛けてはいましたが、それほどの努力はしていませんでした。
また、様々な季節の伝統行事だけでなく、ご近所とのおつきあいや、親せきとの付き合い、法事など面倒なことは、出来るだけ簡略化してきました。

■昭和の暮らしにもどれたら
わたしがうまれたのは、まだ戦後の空気が色濃く残っている時代でした。父は学徒出陣し、母も女学校時代に勤労奉仕をした経験がありましたので、戦争のせいで、自分たちは勉強が満足にできなかったこと、食べるものだけでなく、さまざまなものがなくて苦労した話しを繰り返し聞かされてきました。
勉強は大事だということと、物を捨ててはいけない、大切にしなければいけないと教えられた世代です。
原子力発電に頼らない電力で暮らすためには、1960年代の暮らしをしなければいけないのだそうです。
どれだけの電化製品を家からなくすと、60年代に戻れるでしょうか?考えてみるだけでも面白いかもしれません。

高度成長期、日本人は、がむしゃらに働き豊かな暮らしを手に入れました。オイルショックや円高などさまざまな危機を乗り越えながら、アメリカやヨーロッパの大国と並ぶだけの経済力をつけてきたのです。70年代のオイルショックの後、しばらく節電を社会で実行した時期がありましたが、
いつの間にか、スーパーやデパートは、夜遅くまで、または24時間営業するところも増え、年中無休、年末年始すら休まないような生活になっていました。
その陰に原子力発電による大量の電力の裏付けがあったことなどあまり気にも留めていなかった自分が恥ずかしくなります。
こんなに大変なことになる前に、もっといろいろ気付くべきだったと今思っています。
60年代レベルの電力で暮らすとなると、今の便利さや快適さを失う代わりに、早寝早起き、家族一緒に毎日朝食、夕食を食べられるといったゆったりした日常生活が戻ってくるかもしれません。

■子どもが大人に教えてくれること
20年ほどを振り返り、子どもとの暮らしがわたしに教えてくれたことは、”人間の本来の時間の流れ”だったと思います。
30歳頃まで子どものいない自由な生活をしていたわたしにとって、子どもとの暮らしは、大人の時間の流れを何分の一にも遅くすることでした。
独身または、結婚したすぐの頃、自分のために出来た多くのことは、どんどん子どもの時間に吸い取られて行きました。
子どもの時間の中で過ごすことに、最初は慣れず、もどかしくイライラしたものですが、一度じっくり付き合うぞと腹をくくってからは、世界が違って見えてきたことを思い出します。
ゆっくり子どもとお散歩して、気がつく自然の小さな変化、子どもの視野から見る景色、この世にうまれ落ちてさまざまな刺激を受けながら成長していく自然そのものの子どもとの付き合いが、とても新鮮に感じられ、その時間の豊かさに初めて気がつきました。
子どもたちと一日安心してゆったりと過ごせる幸せを知ることができました。
それなのに、子どもがすっかり大きくなった今、やりたいことを欲張ってたくさん詰め込み、自分を忙しくしてしまっていました。震災直後の数週間、さまざまな予定がキャンセルになり、自宅にこもっていた時に、思いだしたのは、子どもたちと過ごしていたあの”人間本来の時間の流れ”だったのです。

■生活全体を見直してみよう
この大きな震災と原発事故という過去にない危機的な状況の中、一日何事もなく過ごせる幸せ、家族が健康で無事であることのありがたさをかみしめた方は多かったと思います。
そのことを、わたしたちは、決して忘れてはいけません。
これほど多くの方々が犠牲になり、まだ被害の広がりが続いている状況の中で、自分に出来ることは、限られていますが、一つは、今の生活全体を見直すことです。
電力についてはもちろん、衣食住、生活に関わるすべてのことをもう一度考えて、どのような暮らしをしていくことが自然環境や社会のためになるのか考えなければいけないと思います。
そんな時に、判断の基準になるのは、子どもや高齢者、障がいのある方だと思うのです。
いつもその視点を頭に置いて、今の暮らしを、さまざまな角度から見直しをすること。
そこに、危機をを乗り越えていくヒントがあるのではないかと、自分への戒めを込めて、思っています。
まずは、この夏をどう電力に頼らずに乗り切っていけるかが課題でしょう。

■子どもの不安を受けとめて
余震が続く中、被災地だけでなく、東京の子どもたちの心理的なストレスも高まっています。小さな子どもを育てている方々の不安やご苦労はさぞ大きなことだろうとお察しします。
子どもにとって、身近にいる親や大人がすべてです。子どもたちがいつも安心していられるように、親自身が落ち着いて行動し、スキンシップをたっぷりとって家族の関係を深めてほしいと思います。
地震のことを子どもが話したら、何度でも「怖かったね。でも今は大丈夫だよ。」と言い、繰り返し話しをきくことで、子どもの不安が少しずつ取り除かれていくそうです。
いい歳をしたわたしでも時々地震の夢を見たり、揺れていないのに揺れているように感じたりしますので、子どもたちが受けている心的ストレスは、かなりのものと想像できます。

若葉がまぶしいさわやかな季節です。公園や野山に出かけて、豊かな自然を十分に楽しみ、その後にやってくる暑い夏をどんな風に工夫して乗り越えるか、家族でアイデアを出し合って考えてみませんか。


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nana


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2011年5月号

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