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力を抜いて,ゆったりと・・・・



第59回 小説「マザーズ」に思う


■現代の母親のストレス
わたしは、子育て支援活動をしている関係で、母親になりたて、または、数年たった方々お会いすることや、一緒に活動をする毎日ですが、「わたしって子育てに向いてないのかもしれない。」とか、「いつになったら、子どもから解放されて独身の頃のように自由になれるんだろう?」という声を度々聞きます。
昔に比べて、世の中は豊かで、物や情報があふれ、社会には、たくさんの楽しみがある中で、社会から隔絶され、小さな子どもと、昼間一対一の生活に突然入ってしまった母親たちのストレスは、想像以上のものだと思います。
子どもがいなかった頃と、出産後に始まる子どもとの生活のギャップにまず大きく戸惑います。

2010年夏、大阪で起きた、幼児置き去り死事件がまだ記憶に新しく、この事件について当時、「人ごとではない。」「自分もこのような状況に陥らないとは、言いきれない。」など、新聞や週刊誌では、鬼母と書かれたこの若い母への同情の声がわたしのまわりからも聞こえてきました。
核家族で子育てをしている母親には、他人事ではない、自分に近い現実だったのです。
そしてこのことは、あまり理解されず、社会では、この母親自身の人格や人間性に問題があったという捉え方で、終わっています。

■小説「マザーズ」
「マザーズ」という小説が話題になり、わたしも読んでみました。
現代の若い母3人が登場します。小説家でドラッグ中毒ののユキ、育児ノイローゼでわが子を虐待をしてしまう専業主婦の涼子、一児の母でありモデルの五月は、仕事も子育てもうまくやっている素敵なお母さんに見えるけれど、不倫中。
小説家のユカやモデルの五月のような母親は、身近にはあまりいないかもしれませんが、専業主婦で、子ども二人だけの生活に耐えられず、仕事をしようと保育園に預ける涼子に自分を重ね合せ共感する人は多いのではと思いました。

小説なので、麻薬、不倫、虐待、交通事故などストーリー展開が激しく、こんなことありえないと思いながらも、読み進んでしまいました。
そして、現代の母親が心の底に抱える重く、もやもやとしたものを、細かく、リアルに描き出していると感じました。
主人公たちの夫との関係、親との関係、保育園やママ友たちとの関わり、母親が仕事を持つことについてなど、現代の母親の置かれている複雑な状況の描写は見事です。
作者自身が、二人の小さなお子さんを育てているということで、読者は更に納得するかもしれません。

■現代の母親の辛さとは
どうしてこんなに子育てが、現代の母親にとって重荷となり辛いのだろうか、重荷を軽くするためには、何が必要なのだろうと考えました。
子どもを授かり、産み、育てる時に感じる、この上もない幸福感、子どもをいとおしいと感じるその感覚は、産んで初めて体験できることですが、それにもまして、その後の子育てに母親たちはどうして辛さを感じるのでしょうか?

■子育ては、人間本来の人とかかわる力を試される試練
どんな女性も、子どもを産むとまず、「良い母」になりたい、ならねばと、無意識のうちに思っているし、社会からもそう望まれているというプレッシャーを感じているのではないかと、多くの女性たちに接していて思います。
自分の子どもにとって「良い母」、また他人から見て「良いお母さん」「素敵なお母さん」になりたい、ならなければいけいないと、母親になるとだれしも意識するしないに関わらず思うようです。
しかし、子育ては、大きな喜びがある半面、親としての責任を持ちながら、今まで接したことのない”子ども”という存在と、命がけでつきあっていかなければなりません。
小犬や子猫を育てるのとはわけが違いますし、さまざまな育児書はあっても、わが子のためのマニュアルは、どこにもないのです。
子ども一人ひとりが、ユニークな存在で、親が真剣に向き合わなければいけない存在なのです。
初めての育児は、「良い母」であらねば、「良い母」でありたいという呪縛のなかで、子育ての知識もないまま、孤独な育児をしなければならないことが、現代の母親の辛さを増幅させているのではないかと思います。

仕事のこと、夫との関係、子どもへの愛情、自分の両親との関係、保育園、幼稚園との関係、地域社会との関わり・・・
どれも生きていく上で欠かせないものですが、子育ては、人間本来の人と関わる力を試される試練なのではないでしょうか?
子育てを楽にこなしているように見受けられる人は、まわりに援助をしてくれる人が多く、人づきあいがうまくて、甘え上手です。

■一人で抱え込まないで
わたしたちは、「良い母」でありたい、あらねばという気持ちが強ければ強いほど、このくらいは自分で解決しなければと、思いがちになります。
子育ては、ほんの小さなことでも、迷いやとまどいの連続です。
ちょっとしたことでも人にきいたり、頼ったり、甘えてもいいのに、「人に迷惑をかけないように」と、しつけられてきた現代の母親たちは、なんとか自己完結しようとして、無理をしているように見えます。
相談先はたくさんあっても、「わたしは相談するほどの悩みはないから・・・」とためらう人がほとんどでしょう。
だからこそ、近くに気軽に何でも話せる人や場所を持っておくことが大切です。
幸い三鷹市内には、親子で参加できる、さまざまな広場や講座が開催されていますので、どんどん子どもと一緒に出かけて、知り合いや話し相手、自分たち親子を知っていてくれる人たちを増やしていきましょう。
そして、家族(夫、パートナー、両親など)と子どものこと、自分のことについて話す時間を取るようにしましょう。
人との会話は、元気のもとになります。
そして、まわりの人に助けてもらいながら、子どもを育てるうちに、親も人間として成長していきます。

■今必要なのは、子どもを育てている家庭への、社会のあたたかいまなざし
大阪幼児置き去り死事件ですが、検察の求刑は無期懲役、判決は懲役30年となったそうです。
この事件の裁判を取材した記事を読みましたが、この母親は、妊娠中の定期検診もちゃんと受け、母親学級にも通い、出産後は子どもたちのかわいい写真をブログに載せたり「良い母」になろうと、一生懸命だったそうです。
「良い母」になろうと無理をし、どうしようもなくなり、すべてを放棄したのではと書いていました。
24歳という若さです。
もっと彼女の周りの人々が、子育てについて協力的で、彼女が助けを求めているサインを受け止めていたならば、このようなことにはならなかったのではないでしょうか。
子育ては、家庭内のことであり、外から見えないことがたくさんあります。非常にプライベートな部分です。
しかし、母親だけでできることではありません。
日々小さな子どもを育てるということが、どんなことなのかを、もっと世間一般が理解しなければ、この問題は解決しないとわたしは思います。
この母親自身が複雑な家庭に育っており、実母も虐待を受けて育ち、娘であるこの母親は、実母から虐待を受け、そしてこの事件が起こったというすざまじい負の連鎖。
このような虐待の連鎖を断ち切るためにできることは、子どもを育てているすべての家庭への、社会のあたたかいまなざし以外にありません。
毎年約5万5千件もの児童虐待があるそうです。そして不幸にも命を失うケースも多々あります。この失った小さな命からいただいた教訓をけっして無駄にしてはなりません。
そんな意味でも、この小説「マザーズ」は、”子育てと相性の悪い”現代の日本社会に一石を投じる作品と言えるのではないでしょうか。
 


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nana


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2012年6月号

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