ママ、パパの子ども時代の夏休み、教えてください!!

公開日 2016/08/01

8月号特集

ママやパパの子ども時代、なが~い夏休みどのように過ごしていましたか?
川ですいかを冷やして食べたパパ、学校のプールで泳ぎまくったママ、お昼寝三昧だったパパ&ママ(笑)
昔の自分を思い出して、長い今の夏休みを乗り切るヒントになるといいですね♪


ひまわり子さん

とにかく野生児でしたので、幼なじみの子たちと探検しまくっていました。
行ったことない所に行く、通れそうにない所を通ってみる、そんなことばかりしていました。
土地柄か、小学生は自転車で移動する習慣がなかったので、学区内で遊んでいました。
とはいえ、田舎なので三鷹の学区の数倍の広さです。
また、当時は空き地が多く、毎日通っては基地を作り、出来上がると近所の子たち10人くらいで戦争ごっこをしていました。
戦争ごっこといっても鬼ごっこみたいなもので、相手の陣地に入って宝を取ると勝ちというものです。
のこ山というクワガタがいる山にも通っていました。
捕れるわけがないミヤマクワガタのオスを探し、エサを仕掛けては毎朝見に行きました。
祖父母の家は遠方だったため帰省はあまりせず、隣県に住む従兄弟とよく交流していましたが、
みんな7月8月生まれだったこともあり、毎年我が家で合同誕生日会を開いてもらったことが素敵な思い出です。
旅行はほとんどしない家庭でしたが、幼なじみとは家族ぐるみの付き合いで、富士山や海に誘ってもらい一緒に行ったことが記憶に残っています。
宿題については、「毎日の天気を書く」というものがあり、毎年最終日に友だちに頼んで写させてもらってました。
ラジオ体操も宿題でしたね。
そういえば登校日が1日あり、それも楽しみでした。ちなみに長崎市は原爆の日が登校日で、原爆について学びます。
塾にも習い事にも縛られることなく、子どもらしく過ごした夏休みでした。

ミドリコさん

両親がアウトドア好きなので毎年、山登りやキャンプに連れていってもらってました。
本格的な登山で、3000メートル級の山を山小屋に泊まりながら登ったことも。当時は山登りは疲れるししんどい、と思っていましたが、今となってはいい思い出です。

はげまるおじさん
毎年、親の会社の夏祭りに行っていました。夜店が楽しみで、カタヌキをよくやっていました。景気がいい時は芸能人が歌いにきていたりしてましたよ。
あとは市民プールによく通っていました。流れるプールやスライダーが楽しかったです。

じろすけさん
小学校のプールによく行ってましたね。いまよりもっと自由に登校できたような気がします。
当時大阪に住んでいた私は、東京に住む祖父母の家に毎年行きました。
小さい頃は母と弟と一緒に新幹線で行き、二週間ほど後、父が車で迎えに来て、そして車でアチコチ寄りながら大阪へ帰るのがパターンでした。
姉弟とも小学生に上がったら、姉弟二人だけで新幹線に乗って遊びに行きましたね。
すっごく緊張して新幹線に座っていたのを覚えています(笑)
また、計画が全然たてられず、宿題はあとでまとめて!のタイプだったので、8月下旬は苦労してました…。

じろ夫さん

母の田舎(高知)に帰省し、いとこ達と川で魚突きや泳いで遊んでいました。

ryryさん
朝はラジオ体操、朝ごはんを食べたら小学校のプール。昼ごはんの後は、家でごろごろしたり、ふらふらと外へ出て近所の子とままごとをするか、大して綺麗でもない川へ探検に行ったりしていました。
親が相手をしてくれなくても、学校が休みというだけで、十分楽しかったように思います。

ryry夫さん

川でザリガニをとったことくらいしか・・・

カッキーさん
子ども時代の記憶が薄れていることに、驚いています。
子どものころの夏は、今と違ってそこそこ暑さはあっても過ごせていたように思います。

夏休み
朝は、ラジオ体操からはじまり、学校のプールに行っていたか、扇風機にあたってテレビを見ていた記憶しかありません。
新潟出身なのですが、「桃太郎」というイチゴのかき氷の棒アイス(ガリガリ君のような感じ・東京に売っていなくて驚きました!)を
毎日、冷凍庫からあさって食べていた記憶があります。

自分の子どもたちが小さいときは、お風呂に少し水をはって、水鉄砲やおもちゃをいれてしばらくプールかわりで遊ばせていました。

かっちゃんさん

夏休みの間中、海辺の祖父母の家で過ごしてました。弟と2人で夏中ずっといました。
朝起きたら日差しが強くなる前に海で泳いで、昼寝して、日が陰ってきたら海辺を散歩して貝殻拾ったりしてました。そんで夜は花火。
毎日がそのローテーションでした。
そんなだったので、夏休みの宿題は姉弟そろってぜんぜんしなかった・・・。
どうやって新学期を乗り切っていたのか、まったく記憶にありません!
地元の人間は、日差しの強い日中や波の高くなる夕方は泳がなくて、観光客の人だけが日中や夕方泳いでたな。
それで、よく溺れて亡くなったりもしてました。
祖父は船大工だったのですが、夏は観光地引網やったり別荘の管理したりしてたので、観光で来る子どもたちともよく遊びました。
ある日、その子たちと一緒にどっかの納屋を探検してたら、中で首を吊ろうとしてた男の人と遭遇して、ビックリして婆ちゃんに知らせに行ったら、婆ちゃんが首吊り男に「迷惑だから死ぬならよそで死ね」といってにべもなく追い払ったのを覚えてます。
きっと、観光で来てたあの子らも覚えてるんじゃないかなー。忘れてるかな?

すだこさん

夏休みは、母の実家に帰省するのが楽しみでした。
お盆の風習などがきちんとあって、山で笹をとってきて、笹船とお供え物を川に流したり、瓦で迎え火や送り火を炊いたりしていました。
家の近くに潮の満ち引きする川があって、潮が引いてるときに、川に降りたら、足がはまってぬけなくなり・・・ドンドン潮が満ちて来て怖かった覚えがあります。
「都会の遊び方を知らない子が一人で川に行くんじゃない!!」と怒られたのを思い出しました~
自宅にいるときは、ラジオ体操⇒プール⇒昼寝⇒アイスを買いに行くの繰り返しだったような気がします(笑)


回答くださったみなさま、ありがとうございました!
これから、暑くなるだろう夏休み、楽しく安全に過ごしましょうね☆