公開日 2017/02/01
ママとパパのリレーエッセイ 第168回 -ひまわり子さん-
三鷹市在住二十数年のひまわり子と申します。まだ他県に住んでいた頃に結婚をし、つわりの時期に職場のある三鷹へ通勤するのが辛くなったのをきっかけに転居してきたのが、私の三鷹ライフの始まりです。
三鷹駅から会社までの間に大きな公園があることを知っていたので、出産後はそこにベビーカーで通いました。そして程なく公園に隣接するすくすくひろばも利用するようになり、私にも我が子にも友だちができました。
年齢も出身地も生活水準も違う・・・同じなのは子どもの年齢と性別だけ。育児に関する話が9割を占めていた気がします。それでも毎日話が尽きず、帰るのが惜しかったほどでした。当時はインターネットがあまり普及しておらず、もっぱら育児雑誌とママの口コミが情報源でしたから、外に出て人と話す機会が多かった私は育児の悩みを一人で抱えることはありませんでした。
仕事もいろいろ試したかったので、育休は取らずに退社。最初から保育園ではなく幼稚園に入れるつもりでした。とはいえ、「こういう方針の幼稚園に入れたい」というこだわりもなく、公園やすくすくひろばでよく遊んでいた子と同じ幼稚園にあっさり決めました。
そういえば、受験の時も何も考えず当時仲のよかった友だちと同じ学校に決めた私。選択教科も何も考えず友だちと同じものを選びました。さらに遡ると、小さい頃からバスケットボールと水泳をしていた私は、転校を重ねて元の学校に戻ってきた時も、友だちが所属するテニス部に入ったのでした。常に友だちと一緒にいたいからではなく、ただ先のことを何も考えていなかったのです。そう思うと、子どものうちに大なり小なり目標ややりたいことが見つかるということは、失敗から学んで成長するチャンスもあり、少々周りから距離を置かれることがあっても孤独を感じない自信がつく気すらします。私自身、目標があればもう少し自慢できる人生が送れたのではと後悔したこともありますが、中途半端なりにその時その時を楽しく過ごしてきたのだと思うと、それはそれでいいかと思えるようになりました。立派な人間でも派手な人生でもありませんが、今を大切に生きていると考えると十分に幸せです。
と言いつつ、三人の我が子たちにはもっと習い事をさせたり貴重な体験をさせたりすればよかったとも思っています。周りに比べて教育熱心さが足りない私は、そういう意味においての「三つ子の魂百まで」を軽くみていて、子どもの芽が出るチャンスを逃してしまった気がしてなりません。そんな時は、「三人いれば子どもにも社会ができ、子ども同士で学んだり助け合ったりできる」「何かあった時に生き延びる力を子どもが身につけられるように、完璧な育児ではなくたまに手を抜いたほうがいい」「きれいな花を咲かせるのも素晴らしいが、雑草のようにたくましく地道に生きることでも、周りを助けることができるし、いずれ自分も助けられる」という、お世話になった方々の言葉を思い出しては、「大丈夫。うちの子はけっして優秀ではないけれど、ある程度たくましく自由に育っている!」と言い聞かせています。三鷹(東京)に住んでいるから教育事情に敏感になってしまうのか、はたまた地方で暮らしていても同じなのかはわかりません。今はただ、いつ我が子たちから「なんでもっと英才教育をしてくれなかったの?!」と言われるかビクビクしながら過ごしています。
2017年2月号