2017年6月号特集 忘れていませんか?ママと子どもの防災 「東日本大震災当時の先輩ママの体験談」

公開日 2017/05/30

2017年6月号特集ロゴ

 

 

東日本大震災当時の先輩ママの体験談

 

東日本大震災のときに、困ったこと、感じたことなど、当時を思い出してお子さんとの出来事を教えてください

震災が起きた時、幼稚園生だった上の子と、もっと小さい下の子の二人を連れて、車で杉並の踏切待ちをしてました。
町はサイレンが鳴り、太い幹線道路に出て、揺れが収まるのを待つようにアナウンスがありました。
次の日が卒園式。式は延期されました。すぐに春休みになるので、車で中部にある祖母の家にしばらく行くことにしました。
この震災で必要を感じたのは、車の燃料。スタンドには行列ができ、給油できなくて、移動をあきらめる人も居ました。
なので、車の燃料計が半分になったら給油!を心がけてます。
また、災害対策としてなるべく地元のイベントに参加したり、イベントを企画したり、ご近所さんとのコミュニティーをより
意識するようになりました。

カッパ4号

東日本大震災のときに、困ったこと、感じたことなど、当時を思い出してお子さんとの出来事を教えてください

午後の時間で幼稚園生だった下の子も私と帰宅していて、小学生低学年の真ん中の子も、すで帰宅して3人でリビングに居ました。
座卓の下に3人で入り、地震の揺れでカウンターの端に置いたお茶が、ほとんどとこぼれたり、本棚の本が落ちていたのですが、
とりあえず待機だ~と座卓の下に居ました。
当然、子どもたちは怖がっていたので、必要以上に落ち着いたのを覚えています。
玄関に置いていたガラスの器が落ちて割れたのと、金魚の水槽が揺れてあふれたたくさんの水を片付けてから外へ。
階段で余震の度にとまってゆっくり降りました。

それから、まだ学校に居た小学校高学年の長男を迎えに3人で向かいました。マンションの子は誰かがまとめて引き取って来てくれるから、小さい子が居る人は待っていた方がいいという話しも出て、少し迷って遅くなってしまいましたが、やはり行くことにしました。小学校からの帰りに、近所に住んでいる父の様子も確認。この時、電話はぜんぜんつながらず、少ししてからメールで会社に居た主人と無事を確認。

主人の実家と確認出来たのは、さらにもう少し後でした。
ガスの復旧に自宅で操作が必要なことは、この時に覚えた気がします。
反省としては、「落ち着かなきゃ」と思うあまり、ゆっくりしすぎたこと。
子どもが怖がらないように自分は落ち着こうと思ったのは確かです。その効果はあったと思います。
でも、冷静に判断する為に落ち着くんですよね~あの時すっかり落ち着く事が目的と可して、いたような気がしています。
すばやい判断が必要な時には、あれではダメかもと、、

家具はだいたい耐震対策していて、倒れたものはありませんでした。
本棚の中身はほとんど落ちました。
食器棚の戸をちゃんと閉めていたら落ちなかったはずのマグカップが一つ割れました。
カウンターのお茶がこぼれたところにシュレッターがありましたが、上にたまたまプリントが数枚あったので、プリントはぬれてしまいましたがシュレッターは壊れなかったです。

下の二人の子は私が一緒だったので、取りあえず安心だったのではないかと思います。
長男は私たちの迎えが少し遅くてやや不安だったかも。

また、東日本大震災、熊本大震災を経験して、準備していること、気を付けていることを教えてください

改めて、しなくては‥と思いました。下の子が用意してくれた防災リックのいい置き場所がなくて一度やめてしまったところです。
これを機に缶詰とか、うまくローテーションするルールを作って備えようと思います。

yori3

東日本大震災のときに、困ったこと、感じたことなど、当時を思い出してお子さんとの出来事を教えてください

当時は長男がまだ小さく、地震の際はお昼寝中で、しばらく続く余震の間もずっと寝たままだったので助かりました。
本震の後、寝ている我が子を抱っこ紐に入れて不安で家の中をウロウロしていましたが、余震が怖くて心細く、いつも遊びに行っていた、歩いてすぐの星と森と絵本の家に向かいました。

長屋の方は地震で危ないということで、入口の事務所でスタッフの方と話をして少し落ち着き、15分ほどして家に戻りました。

電気がつかず、真っ暗な中、不安で不安で堪らなかったです。

その後、主人とも連絡が取れたのですが、千代田区の会社から帰れないのでその日は会社に泊まると言われ、主人は回りに人がたくさんいて心強いからテンションが高く憎たらしかったです。

また、東日本大震災、熊本大震災を経験して、準備していること、気を付けていることを教えてください

地震が落ち着いてから、もしまた地震がきたり、火災が起きた時にご近所同士で助け合う必要を感じ、ご近所さんの家を回って、緊急連絡先の連絡網連絡網を作りたいとお願いして、皆さんの携帯やメールを聞き一覧にして、配りました。

三鷹には津波がこないので、荷物は持って逃げるというよりは、備蓄することに気を付けています。
水、トイレットペーパー、ティッシュはいつも大量に予備を用意しています。

あの時は赤ちゃんだった長男も二年生になったので、地震が起こった時の話はよくしています。
次男の幼稚園が遠いのですが、長男が「先に弟を迎えに行ってあげて。俺はずっと学校で待ってられるから」と言ってくれて、大きくなったんだなぁと感無量です。

次男にも、他のママより遅くなってしまうけど必ず迎えに行くから先生の言うことを聞いて、お利口に待つようにと伝えてあります。当たり前の事のようですがこういう話をしているのと、していないのとでは実際地震が起こった時のこどもの不安が違うと思うので、
忘れないように数か月おきに繰り返し話をしています。

miko3

東日本大震災のときに、困ったこと、感じたことなど、当時を思い出してお子さんとの出来事を教えてください

当日、娘は小学校5年生でした。
確か高山小学校では、低学年はすでに下校済みで、高学年の子ども達も様子を見て集団下校をさせていたと記憶しています。
幸い我が家では、私は三鷹市市役所におり、家内は仕事が休みだったので自宅にいましたから、子どもの対応としては問題はありませんでした。

しかし、保護者の中には共働きのうえ両親ともに都心の会社に通勤しており、いわゆる帰宅困難者となってしまい、自宅に子どもが1人きりでいる家庭や、近所で預かってもらったご家庭、また、学童保育所や保育園で一夜を過ごしたお子さんもいました。

小学生以下のお子さまをお持ちの保護者の方々には、自分達が帰宅出来なくなることを考えた対応策を確立しておいたほうが良いと思いました。

東日本大震災、熊本大震災を経験して、準備していること、気を付けていることを教えてください

東日本大震災以降、娘には自分で考えて行動するよう言い聞かせてきました。
学校にいる時は先生の言うことを聞けば良いですが、家や塾、外出先などで一人でいるときに大震災が起こった場合には、自分の命は自分で守るしかないので、どのように行動すれば助かるのか、自分で考えるように言ってきました。

小・中学校に於いては、普通の避難訓練だけでなく、子ども達が「生き抜く力」を育む防災教育を実施するよう意見を伝えています。

また、水や食料(レトルト食品などの買い置き)の備蓄は、しっかりと行っています。

さらパパ

東日本大震災のときに、困ったこと、感じたことなど、当時を思い出してお子さんとの出来事を教えてください

発生時、ちょうど末っ子を幼稚園に迎えに行き園庭で遊んでいたので、先生方の指示に従いその場で待機しました。
中学一年生だった長男は学校でしばらく待機したのち集団下校をしました。
中学三年生だった長女は、授業が午前中で終わり、友人宅に遊びに行っていたようで、発生直後は友人たちと靴下のまま外に出たそうです。
広い駐車場に避難し、揺れがおさまった後は友人宅で待機していたそうですが、長女と何時間も連絡が取れなかったためかなり心配しました。
避難するほどの状況に至らなかったため、長女をどう探していいかわからず焦りと不安でいっぱいでした。

また、東日本大震災、熊本大震災を経験して、準備していること、気をつけていることを教えてください

以前から、就寝時はパジャマではなくジャージやスウェットの格好にしています。
非常袋はすぐに見直しました。被災者からのアドバイスがTVやネットで発信されるようになってからは、中身を入れ替えたりもしました。
また、携帯は電池が切れることもあるので、連絡ツールがない状況を考え、外で何かあった際の待ち合わせ場所も再確認しました。
地震だけでなく火災が起こった際の避難方法等も、軽くですが確認しました。
しかし、数年経って意識が低くなりつつあるので、災害用伝言ダイヤルの使い方や非常食の見直しを含め、再度親子で確認します。

ひまわり子

健東日本大震災のときに、困ったこと、感じたことなど、当時を思い出してお子さんとの出来事を教えてください

子どもは習い事に行ってて、私は病院の待合室。
電話がつながらなくて状況がわからず、病院抜け出して歩いて無事を確認しに行きました。
そうしたら、いつも通りにみんなちゃんと勉強してて。
先生は、「大丈夫よ。みんな机の下にちゃん隠れていたわ。ここは丈夫なマンションだし」って。
ほんといつも通りで安心しました。

電話とかメールが通じないと、どうしようもないなと思いました。
近くなら行けばいいけど、遠いとどうしようもない。
職学住は近いほうがいい、と実感。

また、東日本大震災、熊本大震災を経験して、準備していること、気を付けていることを教えてください

・飲料水、非常食になる食べ物(カンヅメとか)、トイレペーパー、電池等 をそれまでより少し余分に備蓄するようになりました。
・押入れにしまい込んでいた非常時持ち出しリュックを、いつも寝室の足元に置くようになりました。
・私はいつもノーブラで寝ていたのを、ブラトップを身に着けて寝るようになりました。

じろすけ

東日本大震災のときに、困ったこと、感じたことなど、当時を思い出してお子さんとの出来事を教えてください

幼稚園が終わって、お友だちが遊びに来ている最中でした。
お友だちのお子さんがタンスの前でお昼寝をしていたのですが、揺れが大きかったのでママに抱っこしてもらった直後に本震が来て、揺れがおさまった後、引き出しが飛び出て青ざめたのを覚えています。
子どもたちは、幼稚園で避難訓練をしていたので、すぐに机にもぐっていました。

お友だちが帰ったあとは、夫も帰ってこれなかったので、一人で子どもを守る不安に苛まれました。
ガスの付け方がわからなかった時、先輩ママがすぐに教えてくれて、情報をたくさんSNSで流してくれていたのには助けられました。

また、東日本大震災、熊本大震災を経験して、準備していること、気を付けていることを教えてください

自分の身は自分で守ることは常に話しています。どんどん行動範囲が広くなり、親と一緒にいる時間が短くなる一方なので。
もともと、備蓄が大好きなタイプなので(笑)いろいろたくさんありますが、貯めこみすぎて賞味期限が切れていたり、電池が液漏れしていたりと言うことがあったので、回転させながら気を付けていきたいと思います。
持ち出し袋も、気が付けば部屋の隅で埋もれている・・・これも見直さないとダメですね。

tsachi3

みなさん、ご協力ありがとうございました!

 


目次にもどる

2017年6月号特集