公開日 2018/07/01
nanaの一口エッセイ~力を抜いて、ゆったりと・・・ season2
第1回 『浜文子の「作文」寺子屋』と書くという行為
■拙エッセイを再開します!
2016年12月に100回を持って終了した、拙エッセイ、もう書かないと、決めていたのですが、この度、season2を始めることにしました。
そのきっかけになったのが、『浜文子の「作文」寺子屋』(浜文子著 鳳書院)です。
浜文子さんとわたしの関係については、このエッセイ第22回2008年4月「浜文子さんとの出会い」を参考までにお読みいただけると嬉しいです。
さて今年の1月、しばらくご無沙汰していた浜文子さんに年賀状を出したところ、お手紙とともにご本の案内が届きました。
昨年10月に宛所不明(旧事務所宛)で戻ってきたという新著のチラシや書評とその時の手紙が同封された封書が送られてきたのです。
10年前の奇跡のような再会以来、年賀状のやり取りや、時には絵葉書で近況を知らせしあったりしていたのですが、わたしの方も身辺慌ただしくしていてすっかりご無沙汰していました。
お手紙が届いたのが嬉しくて、わたしの近況などすぐにお返事を書いたのでした。
すると、またすぐに手紙が、ハガキが・・・・といった具合で、アナログな楽しいやり取りが現在進行中です。
■書くという行為
この本は、浜さんが9年ほど前から、子どもたちに作文の指導をされていて、そのカリキュラムの一部を紹介したものです。
その楽しそうな寺子屋の様子にすっかり私は魅了されてしまいました。
そして、書くという行為が、人の心にとても不思議な作用があるということをわたしは再認識したのです。
浜さんは、『「書く」という行為は、大人子どもに関係なく、人を客観的にする。』と、書いておられますが、文を書くという行為は、自分と向き合う時間でもあり、頭を整理することでもあり、自分が何に関心を持ち、何を考えているのかをはっきりとさせることができます。
そして、苦しいけれど書き終えたときに、気持ちがすっきりして生きる力湧いてくるような気がするのです。
そんなことを感じて、もう一度このエッセイを続けてみようと思いました。
■「作文」寺子屋での実践
寺子屋では、メールや Line、ブログなどで、素早く、手軽に増殖され流されていく文章、そんなうすっぺらな言葉に囲まれて育つ子どもたちが、浜さんの楽しい工夫に満ちた指導で、心を開き、自らが持つ豊な感性で自然に言葉を紡ぎだしていました。
”詞(ことば)寄せ”、”虫食い落ち葉との会話”、”カギカッコと感嘆符の有効活用”などなど、作文というだけで、肩に力が入ってしまう子どもたちを、「あっ!」と驚かせて、書く楽しさに引き込んでいくその手法に、わたしは、読みながらすっかり感心し、紹介されている子どもたちの作品に、感動し、微笑み、何度も涙してしまいました。
「浜文子女史は偉大な詩人であり、本当に尊敬すべき本物の教育者だと思いました。」※とある政治評論家の方の書評にあったように、この寺子屋での実践は、真の意味での教育だとわたしは思います。
■子どものこころに寄り添うために
浜文子さんをご存知の方もそうでない方も『浜文子の「作文」寺子屋』をまずお読みいただければと思います。
どのページにもたくさんの温かい愛が感じられます。
そして、この本で紹介されている子どものこころに寄り添うためのさまざまな工夫は、家庭生活でも生かすことができると思います。
そもそも「育児は科学ではなく文学。親子は学術的エビデンスではなくポエジー。」を持論として、浜さんは、若い母親に向けてたくさんの育児書を書いて来られました。
浜さんの持論に賛同される方には、この本をきっかけに他の著書や詩集もお薦めします。
子どもを育てている時間は、過ぎてしまえばかけがえのない宝物だから、子どもと過ごす時間を大切にしてほしいと改めて感じました。
浜文子さんにいただいたこの素敵なご縁を生かして、秋には三鷹に来ていただいて講演会を開催する予定で準備を進めています。
みなさまどうぞお楽しみに!
※(森田実 ”ブックレヴューその44・2017.11.02 参照)
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nana
2018年7月号