公開日 2018/08/10
ママとパパのリレーエッセイ 第186回 -塩多幸江さん
私の子育ては昭和57年にスタート。男・女・男・女の順に4人の子どもと、そして今、近所に住む長女一家の3姉妹。
子ども達は驚くけど、私が社会人になった昭和53年、当時結婚はXmasケーキに例えられていて、25日と26日の違い同様、25才までに寿退社するのが当たり前、おきまりのように私も23才でお見合い結婚、24才で出産。
ACのCMじゃないけれど『子育ては大変!』
おなかの中にいる時は、一日も早く逢いたいと想う程愛おしかった我が子が、誕生した途端、私の意思は全く無視。どんなにこっちが頑張ったって、ご褒美なんてくれやしない。それどころか、私に自由な時間さえも与えてくれない。おまけに4種4様、どの子も同じに育てようと思っても、皆違う反応。私のお腹から出て来た子ども達が見た目も中身も皆違う。
おまけに育メンとはほど遠い主人と転勤転勤転勤、頼る身内もいない孤独な子育て。標準語がしゃべれない当時の私。言葉の壁で公園デビューも出来なかった。「だっぺ」ばかりに気を取られて相手の話が伝わらないことも…。普段通りにしゃべることのない毎日。幼い子ども相手に何度も何度も激怒した。
「怒ってばかりでごめんね~」
寝顔に向かって何度も泣いた。「百回言っても聞かないんだったら、百一回言ってでも聞かせるのが親」
妙な理屈を自分に言い聞かせて子どもを叱っていたのかも…。
冷静に考えると自分だって、姉と妹とは全く別ものだし、親の言うことを聞いていたか?
子どもなんて、親の思い通りになるはずもないのに、いっぱいいっぱいの私には考える余地もなかった。
でも子ども達はどんなに怒られても、お母さんなしでは生きていけない程私を愛してくれた。一回り違いの子ども達のおかげで、4半世紀もPTAに関わって、色んな経験もさせてくれた。
知識も友人も、今の私があるのも皆子ども達のおかげ。4人の宝物に出会えて本当に幸せ。
「遠くの親戚よりも近くの他人」この言葉通り、子育て中多くの人達に助けて貰った。
今は、子どもや孫が元気で生きている事に感謝し、私に出来る事で助かる人の為に動いて、社会の小さな小さな歯車の一部になりたいと思っている。
以前は高齢者のボランティアをしていたが、人生の先輩方には、私の経験よりも先輩から教わる事の方が多かった。どんな震災も戦争を体験された方には、ご自身の大変さには変えられないし、体験した方にしかわからない。私の育児も、どの育児書を読んでも全く同じ事例はない。「皆、迷いながら悩みながら、子育てしているんだよ。」「頑張らなくても、助けて~って言って良いんだよ。」って伝えてあげたい。
人は支え合って生きるもの。お互い様の気持ちで、一歩歩み寄れば、またどこかで繋がる。
どんなに世の中が便利になっても、AIに移り変わっても、人は人に愛される事で幸せ(*^_^*)
たくさんの出逢いで、たくさんの子どもを愛情いっぱいに包み込んであげられる、そんな居場所作りが出来れば嬉しい。
「こんなところにも塩多さん!」生きている事に感謝しながら、今日も元気に社会の宝物の子育てサポーターであり続けたい!!!!!
NPO法人三鷹次世代育成応援団 塩多 幸江
2018年8月号