一般社団法人みたかSCサポートネットを立ち上げたチカラ~第8回 あれから9年

公開日 2019/12/10

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一般社団法人みたかSCサポートネット代表理事の四柳千夏子です。防災教育や補習学習などで、学校教育とコラボしながら子どもたちの支援活動をしています。また、文部科学省総合教育政策局コミュニティ・スクール推進員(CSマイスター)としても、全国区で活動しています。
三鷹の教育にどっぷりとはまっているこの20年間を8回にわたりおはなしさせていただきます。

<第8回~最終回> 私たちの本気が動かしたもの

~子どもたちとできること~
「自分の命は自分で守る力」「互いに助け合う力」。この二つを「私たちが子どもたちに伝えたいこと」と決めて、とにかく私たちは走り出した。相方と私は基本的な性格はまったく違うのだが、いったん走り出すと二人分の馬力が一つになってエネルギー倍増。まずは私たち自身が学ぼうと、三鷹市防災課の協力をいただいて、仮設トイレの組立や可搬ポンプでの初期消火体験をした。
東日本大震災の一年後には、地域の様々な方のお力添えをいただきながら中学校を会場に防災イベントを行った。さらに、消防団やライフガードなどで活躍している知人にアドバイスをもらい、中学校の先生にも助言をしてもらいながら、私たちで実際にまちあるきをして防災マップ付きのハンドブックを作成し、自分たちが学んだことを子どもたちに伝えるための小冊子「カンガエル地域防災」を作成した。

さらに私たちにとって大きな出来事があった。ちょうどその年、学園の中学校が三鷹市の防災訓練のメーン会場になったのだ。市の防災訓練は、各住民協議会ごとにある自主防災組織が主催することになっている。毎年中学生のお手伝いを出すよう要請されていたのだが、主催者の高齢化が進んでいることと、学校との連携が取れていなかったことで、中学生を活かしきれていなかった。失礼ながら防災訓練そのものも参加者も少なく、形骸化していた。

このままでいいわけがない。これは絶好の機会だった。私たちは地域の主催組織に働きかけた。「中学生を猫の手のように扱わないでほしい」と。(今から思うとだいぶ怖いもの知らずだった(笑))
中学生は確かにまだ子どもで、自分自身で判断して行動するのは難しい。でも、ちゃんと指示をすれば的確に動くことができる年齢なのだ。要はどう扱っていいのか大人の側がわかっていないのだ。

それから私たちは学校にもかけあった。校長先生に相談すると主幹の先生を連れてきた。その先生が根回しをしてくれて、私たちはなんと職員会議に乗り込んでいった。
「中学生を防災訓練に『担い手』として送り出すために、授業を貸してほしい」「生徒に防災訓練に参加するように先生から声をかけてほしい」この二つをお願いした。
三鷹市防災課、三鷹消防署、日赤奉仕団などのお力を借りて、初めて中学校で防災授業を行ったのだ。

そして日曜日の防災訓練当日。小雨が降ったりやんだりの天気だったが120名の中学生、先生・PTA・CS委員会など学校関係の大人80名が訓練に参加した。
仮設トイレの組立、担架搬送、可搬消防ポンプ操作など、中学生の頼もしい姿を多くの地域住民に披露することができたのだ。先生方も休日にもかかわらずほぼ全員が参加してくれた。中学生の指導は私たちサポートネットがおこなっていたので、先生方は見守りのみ。
主催者からは「こんなに活気のある防災訓練は初めて」と評価をいただいた。

地域の課題は、主催者の高齢化、防災訓練の形骸化・硬直化だ。自分たちだけでは解決は難しい。一方、学校の課題は、忙しい中学生を防災訓練に効果的に参加させることの難しさ、休日参加する教員の負担感などがある。

主催者は学校がどれだけ多忙化しているか、今の学校の状況をよく知らないので、地域の行事に参加を期待する。期待されればされるほど学校は負担感を募らせる。
それを、学校の事情もわかり、地域に顔がきく私たちが、それぞれの状況を理解しながらコーディネートして最善の道を作っていく。

住民協議会と学校。それぞれまったく別の組織体で、自分たちでつながるのは難しいが、「防災」という共通のテーマのもと、「つなげる人」がいることで一つの目的を果たすことができた。私たちもそこに自分たちのミッションを感じる瞬間だった。


~コミュニティ・スクールを担ってきた者として~
平成23年度から3年間は、コミュニティ・スクール委員会の会長を務め、そこでも様々な取組をしてきた。常に心掛けていたのは「学校とともにある」こと。時には校長先生方と熱い議論をかわし、辛口の注文もした。
どんなことに取り組もうか、という作戦会議はいつもワクワクした。
そして私たちは「熟議」をたくさんたくさんやってきた。常にみんなが意見を出し合うこと、その意見をみんなで共有すること、そして「やってみる」こと。
「熟議」はいつでも自分たちでできるよう、やり方のルールを決めて自分たちでファシリテーターができるようにした。コミュニティ・スクール委員はいつも本当に熱心に、そして楽し気に議論していた。

運営のモデルはほとんどない。会議の時間は莫大に増え、もちろん大変だったが、悲壮感や負担感は全くなかった。私たちはゼロからのスタートをむしろ楽しんだ。


~CSマイスターになる~
文部科学省主催の「地域とともにある学校づくり」フォーラムで事例発表しませんか?というお話をいただき、自分たちの取組について発表する機会をいただいた。
さらに平成25年度から文部科学省初等中等教育局コミュニティ・スクール推進員(CSマイスター)のお話をいただき、全国へのCS推進のお手伝いをさせていただくことになった。

自分たちのやってきたこと、やっていることを話すときは、CS委員のあの楽し気な熟議の姿をいつも念頭に置いている。ゼロを1にするためにがむしゃらに突き進んできた自分たちのことを、他の地域のこれから「はじめの一歩」を踏み出そうとしている人たちに、どうやったら伝えられるのか。どうやったら「それ、やってみよう!」という気持ちにさせられるのか。

今まで担ってきた者としての新たなミッションを感じているが、その一方でマイスターの活動はとても有意義で勉強になることばかり。
三鷹の事例を押し付けるばかりではダメなのだ。行った先の状況はそれぞれ違う。人口減少、過疎化、学校予算、地域の風土、学校文化。私は「井の中の蛙」もはなはだしいのだ。他の事例に学び、人の話を聞き、思いを語っていただき、たくさんの示唆をいただき、それを自分の言葉にしてまた伝えていく。
その地の課題をその地の方たちと共有しながら、ときには熟議で話し合いを持っていただきながら「それ、やってみよう!」に一歩でも近づけられるように、と自分もまた学び続けなければ、と思う。


~置かれた場所で咲いてきた~そしてこれからも~
今、時代は令和になった。娘たちは成人し、名実ともに親元から巣立とうとしている。自分自身もまもなく「定年退職」の年になろうかというところ。校長先生も年下が増えてきた(笑)。子どもたちの手が離れたと思ったら、親の介護が待ち受けていた。

平成23年に立ち上げた「みたかスクール・コミュニティ・サポートネット」は、29年に法人格を取得し、「一般社団法人みたかSCサポートネット」となった。
相変わらずのボランティアベースだが少しずつ三鷹の中で認知されるようになってきた。仕事も右肩上がりで増えている。

防災教育は自分たちの学園だけでなく、他の地域からも声がかかるようになってきた。学校や行政と協働しての防災教育のプログラム作り、カリキュラム作りをさせていただくようになった。

放課後の補習教室、漢検・英検・数検などの検定なども学校と連携しながら事務局を担当している。子どもたちが学ぼうとする環境をサポートしている。

小学校に入学する前の家庭教育としてのプロジェクトも立ち上げ、保育園に出前講座にも行くようになった。共に歩める仲間たちの存在が互いを支え合っている。

まちづくりにもかかわらせていただいている。防災をテーマにしたイベントに参加したり、子育て支援拠点づくりを手伝わせていただいたりしている。

私の夢は、地元の学区の中にある商店会とコラボしてのキャリア教育。子どもたち(と子どもたちだった人たち)の居場所づくり。三鷹のことを、三鷹の人から学ぶ「三鷹学」。そして、学校を拠点にした場づくり。

やっていることはそれぞれつながっていないみたいに見えるかもしれないけど、私にとってはすべてがつながっている。少しずつ少しずつ、夢がうっすら形になりつつあるのだ。

幼稚園の父母の会から始まって、CSマイスターまで、自分から名乗りを上げてやったことは無い。どれもこれも声をかけられ、そこでやっているうちに次の声がかかり…、という感じでつながってきた。ひょんなことからお役目をいただき、せっかくだからと前だけを向いて取り組んできた。
ひどく落ち込んだり、傷ついたりしたことも。眠れない夜もあった…あったっけ??夜寝て朝起きると忘れられる得な性格でもあるが、とにかく、自分が置かれた場所を嫌がらず、そこで全力だっただけ。でもそれを続けてきたからこそ、ただのフツーで面倒くさがり屋のお母さんだった私が、こうして夢を持つことができ、夢を少しずつ形にできるようになってきたのだ。

自分の子育てが間違いだらけだったからこそ、今苦労しているお母さんたちに「大丈夫だよ!」と言ってあげられる。何の特技も能力も無い、実際運転免許だって持っていない私だから言える。「気負わずに、自分が置かれたのなら、置かれた場所を楽しんでみて。そうすると咲いてくれる花があなたにも必ずあるから」と。(了)


 

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一般社団法人みたかSCサポートネット http://mitakano.grupo.jp/
 

2019年12月号