ママとパパのリレーエッセイ第218回- ANNEさん

公開日 2021/04/01

コラムママとパパのリレーエッセイ 第218回-ANNEさん

こんにちは。

今回バトンを受け取りました、調布市在住ホームスタート新米ビジターのANNEです。

我が家の子どもたちは、すでにかなり成長していまして、社会人の長女、19歳の息子、そして末っ子の11歳になる犬です。犬の11歳は、小中型犬の場合、人間に換算すると60歳になるそうです。が、これはあくまでも肉体的な年齢のことであって、精神年齢は、永遠の2歳児といったところのようです。

近頃、この永遠の2歳児の姿に、かつての幼かった子どもたちの姿が、重なって見えるようになりました。

いくらなだめすかしても、ちっとも泣き止まず困り果てたこと。後追いが激しくて、トイレの扉を開け放していたこと。何度でも飽きることなく、同じ遊びや同じ絵本の読み聞かせをせがまれたこと、などなど。挙げだすとキリがないほど、様々な子どもたちの姿が蘇ってきます。

今回「子育て」について改めて考える機会を頂いたので、私の子育て25年の歴史(大袈裟ですね)を、少し振り返ってみようと思います。

専業主婦である母と父の下、祖父母、弟と共に育った私は、いつの頃からか漠然と、お母さんになりたいと願うようになりました。この願いは、幸いにも、長女の誕生により叶えられることになりました。口に出して言った事はありませんが、私を母親にしてくれた長女には、いつも心の中でとても感謝しています。

長女が生後7ヶ月の頃、私自身が原因不明の肺炎を患い、止むを得ず断乳した上、入院する事になりました。毎日、ベッドの枕元に飾った娘の写真を眺めては涙ぐみ、看護師さんに冷やかされていたのが、今となっては懐かしい思い出です。入院中は、当時今の私と同い年であった亡き母が、娘の世話を一手に引き受けてくれました。そのお陰で、安心して治療に専念することができました。唯一悔やまれるのは、母に、きちんと感謝の気持ちを伝えていなかった事です。また、その当時は、咳が苦しくて娘に歌を歌うこともできず、とても悲しかったことを今でもよく覚えています。子どもと毎日顔を合わせたり、歌ったり読み聞かせをしたりといった、一見当たり前の、時と場合によっては面倒にさえ感じることが、実はどれほど幸せで恵まれたことであるのか、痛いほど思い知った経験でした。

長女は、よく寝る子でご機嫌も良く、比較的育て易い子どもであったと思います。それに対して、6歳違いで生まれた長男は、ベッドに置けば泣き出し、目覚めれば必ずぐずる(今でも寝起きは悪いです)どちらかというと育てにくい子どもであったように思います。日中興奮することがあった日は、夢遊病患者のように夜中に起き出し、部屋の中をグルグルと走り回っていました。リトミックに連れて行っても、なかなか私から離れず、幼稚園の入園式は、担任の先生に抱っこされての入場となりました。

他方、とてもお喋りさんで、自転車の子供用椅子に乗せて外出すれば、ひたすら賑やかに喋り続けていました。私にとって、それはそれは楽しい時間でした。また、繊細でこだわりの強いところがあり、小学生の一時期不登校になりました。当然のことながら、私たち両親は大いに悩みましたが、周りの方々のお力をお借りし、何とか乗り越えることができました。その際、今でも大切にしている出会いも経験しました。あれから10年近くを経た今、ようやく、息子はもう大丈夫!と思えるようになりました。親としては、無上の喜びです。

多くの皆さん同様、私も、親になって以降、子育てについて様々な本を読んだりお話を聞いたりしてきました。その中で、特に心に残っていることが3つあります。

まず、家庭は子どもの基地であること。辛い時や疲れた時に、好きなだけ骨休めをし、エネルギーを充電するところ。再び飛び立った後も、いつでも帰ってこられるところ。心から安心できるところ。

それから、子どもの心に、自己肯定感、自尊心を育むことの大切さ。自分自身を好きでいられること。親自身も。

最後に、子育ての最終目標は、自立と自律であること。これは、先輩からの教え。

勿論、私自身、どれだけ実践できているかはかなり不確かです。ただ、少なくとも、時々は思い出すように心がけてきたかな、と思います。

振り返れば、子育てを通して、まさに親である私自身が育てられてきました。これは、世の多くの方々も言われている通りです。子育てをすることで、物事は、決して自分の思い通りにはならないのだということを、思い知らされました。子どもを、自分の思い描いた通りに操作しようとする傲慢さを、他ならぬ子どもたち自身が戒めてくれたのです。

近頃、心掛けている事がひとつあります。なるべく笑顔でいようということです。近い将来訪れるであろう子どもたちの巣立ちを前に、一緒に生活できる今の幸せな時間を、大切に過ごしたいと思うのです。そして、できれば子どもたちの笑顔もたくさん見ておきたい。いくつになっても、子どもの笑顔は最高です。

偉そうに長々と書き連ねてきましたが、今現在、私の心の大半をを占めているのは、実は長男です。浪人生である彼の心身の健康状態、再挑戦へのサポート…。老いてなお私のことを心配する父の姿を鑑みても、1度親となってしまった私だちは、この先も永遠に、子どもたちのことに心を砕き気遣い続けることになるのでしょう。おそらく、いつも気掛かりでならず、常に私たちの心を占領し続ける子どもがいる、そのことこそが、親に与えられた幸せなのだろうと思います。そうであるなら、私は、この幸せを、今後もずっと噛みしめ続けていきたいと思います。父のように、総入れ歯になるまでずっと(笑)。

最後に。

私のごくごく個人的な回想に長いことお付き合いくださり、ありがとうございました。

決して明けない夜はありません。何事も何とかなるものです。

どうか今この時を大切に、心身共に健やかに過ごされますように。
 

2021年4月号